「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

私は「小さな巨人」だそうである

2011-04-08 | 日記
3月11日の大震災以後、ガソリンの不足と気分的なこともあってボーリングを自粛していたのだが、久しぶりに行ってみるととんでもないことになっていた。

別にボーリング状に異変があったわけではありません。

大震災後は、計画停電の影響もあり、客足がかなり少なかったそうなのだが、客足が徐々に戻る中、私だけが何時までも姿を現さなかったのだそうである。

始めのうちは従業員も「何か雰囲気がおかしい」と感じていたらしいのだが、その原因が「私がいないため」だと言う結論に至ったのだそうである。

そのため、一番初めに私の姿を確認した人が言った言葉がふるっている。

その人は私に気がつくとこう言ったのである。

「アーッ!生きていた」。

それにつられて何人もの人が同じことを言うのである。

よくよく聞くと、あまりに私が姿を現さないので「地震で家が倒れ、その下敷きになって死んだのでは・・・・」と思っていたのだそうである。

冗談半分ではあろうが、私を知る人(20人以上)の殆どが同じことを考えていたらしいのである。

その事をボーリング場の従業員に話したところ「〇〇さんは小さな巨人だから」と言うのである。

ほめ言葉として言われたのだが、私にしてみればナントも「複雑な気分」である。

私は全く意識していないのだが、従業員の話によると、私は「非常に目立つ存在」なのだそうである。

私自身は目立とうと言う意識は全く無いのだが、何故かいつの間にか目立つ存在になっているのである。

この事は二十歳過ぎにある大学の心理学の教授に指摘されていた事で、私が持って生まれた「個性?」なので、無意識のうちに目立つ存在になり、そのことで何度嫌な思いをした事だろうか・・・・。

しかし、嫌な思いをするたびに思い出すのは、その心理学の教授の言った言葉である。

それは、「お前は損な性格だが、世の中にはお前のような人間がいないと困る。だから、お前がそれを容認出来るのならその性格を押し通せ」と言ってくれたのである。

教授は数名の教え子を引き連れたいたのだが、その教え子たちにこうも言うのである。

「こいつ(私のことだが)は高校を半年しか行っていないのに、大学を出ているお前たちより余程しっかりしている」と。

私自身はあまり目立ちたくないと思っているのだが、何故か何時も気が付くと一番目立つところにいるのである、が・・・・。

このことが「目立ちたがり屋」たちにとっては面白くないのである。

「目立ちたいのに目立てない」連中にとって、「自然に振舞っているのに何故か目立つ」と言うのはナントも面白くない事なのだろうが、私にはどうしようもない事なのである。

別れた女房とその兄ともよくこの事でぶつかったものである。

彼らにしてみれば、私さえいなければ目立てるものが、私が居るばかりに「目立てない」のだから腹が立つのだろうが、私に言わせれば「お前たちが怠けているからだ!」と言いたくなるのである。

私は何かあると放っておけないたちで、無意識のうちに行動を起こしているのだが、彼らは目立つ事ばかり考えているため「行動に適切さを欠き、行動を起こすのも遅い」のである。

最終判断でもめた場合でも、私は「俺が責任を取るから」と言えるのだが、彼らは責任を自分で取る気が無いのである。

こうなるとどちらに人が集まるか・・・・。

団地の自治会にしてもまたしかりである。

「へそ曲がりおじさん」と言うブログネームを使うのも、実はこんな事も関係しているのである。
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