子供の頃に、読書感想文を書く時にはストーリーについて書いてはいけません、何てことを学校の先生に言われたもんですが、そんな風に言われるとさて何を書けばいいモノやらと悩んだことありましたねぇ。
高校生になって「SCREEN」を読み始めると、双葉先生の映画評には短いながらもちゃんとストーリーが書いてあって、それがどんな話なのか大体わかってくる。映画評も読書感想文も似たようなものだから、やはりストーリーは書いていいんだと改めて納得をしたもんです。感想を書くにしても、どんな話かが前提としてあって、その上で語らないとね。だから僕のブログでも映画の感想記事には概ねストーリーを書くようにしています。
たまに他の人の記事を読む事があるんですが、中に殆どストーリーを書かない人もいらっしゃいますな。そんな記事は、その映画を観てない場合は全体的に何を仰っているのか分からないし、観ている作品でも、はて何処のシーンの事を書いてらっしゃるの?と思うこともあります。あぁ、この人も子供の頃に先生に同じような事を言われたのかなぁと思ったりもしました。
そんな中やっぱストーリーは書くべきだと再認識した事が、かなり前の事ですがありました。それは映画について書かれたブログを読んでいた時で、その記事は簡単なストーリーが書いてあるものだったのですが、そのストーリーが僕が思っているものと全然違う紹介をされていたんですね。同じ映画を観ても受け取り方がこんなにも違うものかと、ビックリしたもんです。
幾つかありましたが、今も思い出すのは1967年のアメリカ映画「卒業」の記事でしたね。
大学を優秀な成績で卒業するも将来の展望が見えずにダラダラとモラトリアムを決め込んでいた青年を、有閑マダムが性のはけ口に誘惑する。暫くして青年の同級生だったマダムの娘と再会すると、青年は彼女の純真さに惹かれるようになるが、ひょんなことから娘は母親と青年の関係を知ることになり・・・という話。
ベトナム戦争が泥沼化して先行き不透明な時代の空気と、社会に出て行く時の若者の不安とが相俟って、主人公の心理状態に大いなる共感をもったもんですが、僕が読んだブログの作者は「卒業」を三角関係の恋愛モノと捉えておられるようでした。母親と娘が同じ一人の青年を取り合う話だと。娘が青年と別れる決心をしたのも、母親が嫉妬の末に娘と別の男性との結婚をすすめたからと書かれていましたね。
三角関係?
嫉妬?
そこには二つの恋愛関係があるはずですが、母親であるミセス・ロビンソンと青年ベンジャミンの間には恋愛感情何てないです。ロビンソン夫人にとってベンジャミンは性の対象でしかなく、ベンジャミンにとってもつかの間のアバンチュールでしかない。ただベッドインするだけではなく、人間的な関係を持とうと一度はベンは夫人に問いかけた事がありましたが、それは夫人にとっては余計な事でした。
そして夫人がベンを娘から遠ざけたのは嫉妬ではなく、自分の性の道具だった男と愛娘が一緒になるのが許せなかったからです。娘にはもっとふさわしい男性がいるはずだから。
ブログの作者は僕よりかなり若い人なので1967年の空気は実感できないかもしれませんが、「卒業」が三角関係の話とは・・。
表面上は確かに三角関係か、なんて事も思いますが、同じ映画を観てもここまで理解が違うのかと愕然としたもんです。かといって、それは違うでしょうと言っても、納得はされないでしょう。ただ、この作者がもう少し人生経験を重ねるとまた「卒業」の見方が変わる可能性もあるとは信じております。
映画や小説の感想文を書く時には是非とも貴方なりに受け止めたストーリーを書いて欲しい。
登場人物の心情も作者が代弁しているタイプの小説なら概ね間違う事はないでしょうが、まったく同じものを観ているはずの映画でもこんなにも受け止め方が違うんですから、簡単なストーリーを書いて欲しいです。ブログ作者のストーリーを前提にその方の感想や評価を読む事が出来ますからね。
高校生になって「SCREEN」を読み始めると、双葉先生の映画評には短いながらもちゃんとストーリーが書いてあって、それがどんな話なのか大体わかってくる。映画評も読書感想文も似たようなものだから、やはりストーリーは書いていいんだと改めて納得をしたもんです。感想を書くにしても、どんな話かが前提としてあって、その上で語らないとね。だから僕のブログでも映画の感想記事には概ねストーリーを書くようにしています。
たまに他の人の記事を読む事があるんですが、中に殆どストーリーを書かない人もいらっしゃいますな。そんな記事は、その映画を観てない場合は全体的に何を仰っているのか分からないし、観ている作品でも、はて何処のシーンの事を書いてらっしゃるの?と思うこともあります。あぁ、この人も子供の頃に先生に同じような事を言われたのかなぁと思ったりもしました。
そんな中やっぱストーリーは書くべきだと再認識した事が、かなり前の事ですがありました。それは映画について書かれたブログを読んでいた時で、その記事は簡単なストーリーが書いてあるものだったのですが、そのストーリーが僕が思っているものと全然違う紹介をされていたんですね。同じ映画を観ても受け取り方がこんなにも違うものかと、ビックリしたもんです。
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大学を優秀な成績で卒業するも将来の展望が見えずにダラダラとモラトリアムを決め込んでいた青年を、有閑マダムが性のはけ口に誘惑する。暫くして青年の同級生だったマダムの娘と再会すると、青年は彼女の純真さに惹かれるようになるが、ひょんなことから娘は母親と青年の関係を知ることになり・・・という話。
ベトナム戦争が泥沼化して先行き不透明な時代の空気と、社会に出て行く時の若者の不安とが相俟って、主人公の心理状態に大いなる共感をもったもんですが、僕が読んだブログの作者は「卒業」を三角関係の恋愛モノと捉えておられるようでした。母親と娘が同じ一人の青年を取り合う話だと。娘が青年と別れる決心をしたのも、母親が嫉妬の末に娘と別の男性との結婚をすすめたからと書かれていましたね。
三角関係?
嫉妬?
そこには二つの恋愛関係があるはずですが、母親であるミセス・ロビンソンと青年ベンジャミンの間には恋愛感情何てないです。ロビンソン夫人にとってベンジャミンは性の対象でしかなく、ベンジャミンにとってもつかの間のアバンチュールでしかない。ただベッドインするだけではなく、人間的な関係を持とうと一度はベンは夫人に問いかけた事がありましたが、それは夫人にとっては余計な事でした。
そして夫人がベンを娘から遠ざけたのは嫉妬ではなく、自分の性の道具だった男と愛娘が一緒になるのが許せなかったからです。娘にはもっとふさわしい男性がいるはずだから。
ブログの作者は僕よりかなり若い人なので1967年の空気は実感できないかもしれませんが、「卒業」が三角関係の話とは・・。
表面上は確かに三角関係か、なんて事も思いますが、同じ映画を観てもここまで理解が違うのかと愕然としたもんです。かといって、それは違うでしょうと言っても、納得はされないでしょう。ただ、この作者がもう少し人生経験を重ねるとまた「卒業」の見方が変わる可能性もあるとは信じております。
映画や小説の感想文を書く時には是非とも貴方なりに受け止めたストーリーを書いて欲しい。
登場人物の心情も作者が代弁しているタイプの小説なら概ね間違う事はないでしょうが、まったく同じものを観ているはずの映画でもこんなにも受け止め方が違うんですから、簡単なストーリーを書いて欲しいです。ブログ作者のストーリーを前提にその方の感想や評価を読む事が出来ますからね。
>子供の頃に、読書感想文を書く時にはストーリー
そうなんです。
子供がストーリーを書くとそれだけで終わってしまうので、先生はそう仰るのでしょうが、子供は正直ですから強迫観念で書けなくなってしまう(笑)。
かくして、僕も双葉師匠の方法には勇気づけられた一人。
>「卒業」
ありそうな誤解ですね。
三角関係か。三角関係ではあっても、恋愛感情は抜きですよね。
>貴方なりに受け止めたストーリーを
同感です。
映画サイトのごく初めの部分しか書いていないストーリーを貼り付けてすましているブログもありますが、これは良くない。
同じストーリーであっても、書き方でどう理解しているかよく解りますから。僕の場合は、だから、主語が他の人と違うこともあります。
成程、そういうことだったか。
今も子供の頃に書いたはずの読書感想文の1センテンスも覚えてないですからね。
双葉師匠のおかげで、今はこうやって映画感想文が描けるようになりましたです。