最近は、紹介記事の後にネタバレ記事を書くことが多くなったなぁ。前は紹介記事の中に注意印付きで書いてたんだけど、なんか長くなっちゃうからネ。
今回も「暗殺の森」を未見の方には“ネタバレ注意”です。

紹介記事でクライマックス・シーンという言葉を使ってますが、当然これは終盤の教授暗殺のシーンですね。パリから別荘に向かう道中の深い森の中で、路肩の片方は段差があって下がっており、その先は崖になっている道でした。
ルカ・クアドリ教授とアンナの乗った車が前方に見えるまで近づくも、すでに山道に入っていて、マルチェロと運転手のマンガニェロの車は一定の距離を保って追い続けます。10月の山はアスファルト道路以外すでに薄っすらと雪が積もっていて寒々しい雰囲気。アンナは後ろから車がつけているのに気付きます。と、突然反対側からやってきた車が横向きになって止まってしまい、運転手はハンドルに突っ伏していて動きません。同乗者は無し。
教授は運転手の様子を見に行こうとしますが、怖いから止めてとアンナは言います。
『病気かもしれないし、ほおってはおけないよ』
教授は外に出てその車に近づきます。何故かドアにはロックがかかっていて、運転手はピクともしませんでした。
この間、教授夫妻、マルチェロ、マンガニェロの様子を遠くから近くから描きながら、時折森の木々が風に揺れているショットやその風の音、風に軋む木の音が入り不気味な雰囲気が醸し出されていきます。この映画の中でも最も優秀な場面でしょうね。
森の中からは同じようなコートを着た3人の男達が木に隠れるように近づいてきますが、アンナは気付きません。突然、車の中で気を失ったふりをしていた男が車を降ります。手にはナイフ。教授は『病気かと思ったぞ、何の真似だ?』
その時、後ろから近づいた別の男が教授の背中に・・・。
いやぁ、ここは怖いシーンでしたなぁ。
BGMは無く、ナイフがグサっと刺さる効果音も無く、ただ教授の呻き声と風の音だけ。ヒッチコックの「サイコ」のようなある意味様式化されたような殺害シーンではなく、黙って刺し続ける男達の様子はまさにリアルなおぞましさでありました。
この後アンナは車を降りてマルチェロの車に助けを求めてやって来ますが、泣き叫ぶ彼女をマルチェロは窓越しに無表情に見るだけです。男達は彼女を追ってピストルを発砲。やむなくアンナは森の中を走って逃げる。
この時カメラはハンディになっていて、恐怖で泣き叫びながら走る彼女や、ピストルを撃ちながら追う男達を追い続けます。ドキュメンタリーフィルムのように。男達はここでも無言でした。
顔面を血で真っ赤に染め、雪の上に倒れこむアンナの姿も痛ましいものでした。

最終章はこの暗殺から数年後。
マルチェロの家のラジオはムッソリーニの失脚を報じ、かつて彼をファシスト党に紹介した盲目の仲間が訪ねてきて、マルチェロは外で会います。街ではムッソリーニの彫像の頭部分が、あのサダム・フセインの時と同じように民衆に引きずられて転がっていました。
そして、街娼達がたむろする界隈でマルチェロは偶然にも少年の頃に自分が殺したと思っていたホモの男に再会するのです。
生きていたのか!
体制順応主義者にならざるを得なかった原因が、自分の勘違いだったことに気付くという皮肉なラスト。
マルチェロはその男を掴まえてこう叫びます。
『1917年の3月25日、お前は何をしていた?』
『1938年の10月15日午後四時、お前は何をした?』
1917年は13歳のマルチェロが男をピストルで撃った時、そして1938年はクアドリ教授夫妻が殺された日ですね。
そして、マルチェロは今は白髪になってしまったホモ男を指差して名前を大声で叫び、こいつはファシストだ、こいつは殺人者だと糾弾するのです。こいつがルカ・クアドリとアンナを殺したんだと。
原作者のアルベルト・モラヴィアについて、ウィキペディアにこういう記述がありました。
<第二次世界大戦中はムッソリーニ政権から作品を禁書に指定され、新聞への執筆を禁じられるなどの弾圧を受け、抗議の意味でPseudo("偽名"を意味する)という変名により執筆を続ける>
卑怯な体制順応主義者を描きながら、人間の弱さ、ファシズムの怖さと醜さまでをも描いた異色作でありました。
今回も「暗殺の森」を未見の方には“ネタバレ注意”です。

紹介記事でクライマックス・シーンという言葉を使ってますが、当然これは終盤の教授暗殺のシーンですね。パリから別荘に向かう道中の深い森の中で、路肩の片方は段差があって下がっており、その先は崖になっている道でした。
ルカ・クアドリ教授とアンナの乗った車が前方に見えるまで近づくも、すでに山道に入っていて、マルチェロと運転手のマンガニェロの車は一定の距離を保って追い続けます。10月の山はアスファルト道路以外すでに薄っすらと雪が積もっていて寒々しい雰囲気。アンナは後ろから車がつけているのに気付きます。と、突然反対側からやってきた車が横向きになって止まってしまい、運転手はハンドルに突っ伏していて動きません。同乗者は無し。
教授は運転手の様子を見に行こうとしますが、怖いから止めてとアンナは言います。
『病気かもしれないし、ほおってはおけないよ』
教授は外に出てその車に近づきます。何故かドアにはロックがかかっていて、運転手はピクともしませんでした。
この間、教授夫妻、マルチェロ、マンガニェロの様子を遠くから近くから描きながら、時折森の木々が風に揺れているショットやその風の音、風に軋む木の音が入り不気味な雰囲気が醸し出されていきます。この映画の中でも最も優秀な場面でしょうね。
森の中からは同じようなコートを着た3人の男達が木に隠れるように近づいてきますが、アンナは気付きません。突然、車の中で気を失ったふりをしていた男が車を降ります。手にはナイフ。教授は『病気かと思ったぞ、何の真似だ?』
その時、後ろから近づいた別の男が教授の背中に・・・。
いやぁ、ここは怖いシーンでしたなぁ。
BGMは無く、ナイフがグサっと刺さる効果音も無く、ただ教授の呻き声と風の音だけ。ヒッチコックの「サイコ」のようなある意味様式化されたような殺害シーンではなく、黙って刺し続ける男達の様子はまさにリアルなおぞましさでありました。
この後アンナは車を降りてマルチェロの車に助けを求めてやって来ますが、泣き叫ぶ彼女をマルチェロは窓越しに無表情に見るだけです。男達は彼女を追ってピストルを発砲。やむなくアンナは森の中を走って逃げる。
この時カメラはハンディになっていて、恐怖で泣き叫びながら走る彼女や、ピストルを撃ちながら追う男達を追い続けます。ドキュメンタリーフィルムのように。男達はここでも無言でした。
顔面を血で真っ赤に染め、雪の上に倒れこむアンナの姿も痛ましいものでした。

最終章はこの暗殺から数年後。
マルチェロの家のラジオはムッソリーニの失脚を報じ、かつて彼をファシスト党に紹介した盲目の仲間が訪ねてきて、マルチェロは外で会います。街ではムッソリーニの彫像の頭部分が、あのサダム・フセインの時と同じように民衆に引きずられて転がっていました。
そして、街娼達がたむろする界隈でマルチェロは偶然にも少年の頃に自分が殺したと思っていたホモの男に再会するのです。
生きていたのか!
体制順応主義者にならざるを得なかった原因が、自分の勘違いだったことに気付くという皮肉なラスト。
マルチェロはその男を掴まえてこう叫びます。
『1917年の3月25日、お前は何をしていた?』
『1938年の10月15日午後四時、お前は何をした?』
1917年は13歳のマルチェロが男をピストルで撃った時、そして1938年はクアドリ教授夫妻が殺された日ですね。
そして、マルチェロは今は白髪になってしまったホモ男を指差して名前を大声で叫び、こいつはファシストだ、こいつは殺人者だと糾弾するのです。こいつがルカ・クアドリとアンナを殺したんだと。
原作者のアルベルト・モラヴィアについて、ウィキペディアにこういう記述がありました。
<第二次世界大戦中はムッソリーニ政権から作品を禁書に指定され、新聞への執筆を禁じられるなどの弾圧を受け、抗議の意味でPseudo("偽名"を意味する)という変名により執筆を続ける>
卑怯な体制順応主義者を描きながら、人間の弱さ、ファシズムの怖さと醜さまでをも描いた異色作でありました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます