ソラリス
2007-03-02 | SF
(2002/スティーヴン・ソダーバーグ監督・脚本/ジョージ・クルーニー、ナターシャ・マケルホーン、ジェレミー・デイヴィス、ヴィオラ・デイヴィス、ウルリッヒ・トゥクール/99分)
アンドレイ・タルコフスキー監督の「惑星ソラリス(1972)」のリメイク。というか、同じSF小説を原作としている映画であります。SF小説の金字塔と云われている、ポーランドの作家スタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』がソレで、私自身は本もタルコフスキーの映画も未見です。本はともかく、タルコフスキー版より1時間も短いソダーバーグ版を先に観てよいものかと思案しましたが、NHK-BS放送を録画しましたのでとりあえずチャレンジ。結果としては、タルコフスキー版にも興味が湧いたし、ネタバレしても『まぁ、体勢に影響なし』と読みました。
タルコフスキー版は、『ウィキペディア(Wikipedia)』に<監督は、のちに意図的に観客を退屈させるような作風を選んだ、と述べている>と書かれているように、前半に退屈なシーンがあるとのことなので、時間的にはソダーバーグ版で充分なのかも知れません。【原題:SOLARIS】
宇宙が舞台のSFです。背景は殆ど説明がありません。勿論未来の話ですが、それがいつ頃なのかは関係ないようです。
“惑星ソラリス”を調査中の宇宙ステーションが舞台で、ソラリスについては劇中人物の台詞で『(ソラリスは)監視されているのは分かっているようだ。』というのもありました。表面が海と雲に覆われている星なので、有機物があるだろうとの推測から資源等について調査しているのでしょうが、そのステーションの乗組員に異常が発生したので一人の専門家が調査に乗り出すというお話です。
心理学が専門のクリス・ケルヴィン博士(クルーニー)の所にNASAから人が訪ねてくる。何はともあれと差し出されたビデオテープには、クリスの友人で惑星ソラリスを調査中の宇宙ステーションのクルーの一人、ジバリアン博士(トゥクール)からの『君の力が必要だから来て欲しい。』とのメッセージが入っていた。憔悴しきったような顔の友人は、『ドラマみたいだが、これは真剣な話なんだ。』という前置きも付けていた。
自動運転で宇宙ステーションに着くクリス。目の前には“ソラリス”の青い海が広がっていた。
所々に血痕のついた人気のないステーション内で彼が見たのは、ジバリアンともう一人のクルーの遺体。船室にいたスノー博士(デイヴィス)を見つけて尋ねてみると、ジバリアンは自殺したとのこと。更に、クリス以前にやって来たNASAの応援部隊は全員が居なくなったこと、残っているのはスノーともう一人、女性の物理学者ゴードン博士(デイヴィス)の二人だけだということも聞く。
自室に閉じこもっているゴードンと話をすると、どうやら地球への帰還を拒んでいるのはゴードンらしい。物理的に帰れない訳ではない。だが、帰れないのだと言う。
長期戦を覚悟するクリスに、スノーは『君の睡眠時間はいつ頃だ?』と聞く。『君の睡眠中は、僕は部屋の鍵をかけとくよ』・・・。
製作にジェームズ・キャメロンも絡んでいるようです。「ターミネーター」のキャメロンではなく、「アビス」のキャメロンが興味を持ったんでしょうな。
原作にもタルコフスキー版にも哲学的な背景があるようですが、コチラもそのような匂いはします。かといって、意味不明な長回しのシーンがあったりとか思わせぶりな描写があるわけではなく、“ソラリス”が創り出したであろう超自然現象に、観客の方が「?マーク」の旗を抱えながら次の展開を待つという映画でした。コチラの能力不足で哲学的なメッセージが掴めていないので、残念ながらお薦め度は“並”になりましたが、今回のソダーバーグさんは、過去や未来、夢と現実を織り交ぜながら、珍しく主人公の内面にアプローチしているのが印象的でした。
スリリングな宇宙空間をイメージさせるBGM。時々、瞼を閉じるように真っ暗になるスクリーンも印象的。雨模様が多い地球のシーンは「ブレード・ランナー」みたいでした。
▼(ネタバレ注意)
見終わって、バリー・レヴィンソンの「スフィア(1998)」を思い出しました(原作:マイケル・クライトン、主演:ダスティン・ホフマン)。
アチラは頭の中の想像上のモノが具現化するというような話だったと思いますが、こちらもクリスが寝ている間に、死んだはずの彼の妻レイア(マケルホーン)が宇宙ステーションの中に現れるという展開。どうやらそれは、クリスの夢の中に出てきたモノを“ソラリス”が物質化したもので、ジバリアンには彼の息子が現れたようだし、スノーには弟や彼自身のコピーが現れる。
しかし、何故現れるのか。“ソラリス”の仕業ならどういう意図があるのか。そもそも仕業なのか。途中でジバリアンのコピーも現れてクリスと問答しますが、あの辺りに原作の味があるのかも知れません。
クリスの妻の死は自殺。身ごもった赤ん坊を内緒でおろしてしまった事にクリスが激怒して家を出たのが原因です。
最初にレイアのコピーが現れたときには驚いてステーションの外に捨ててしまったクリスだが、その後コピーが再び現れた後今度は彼女を連れて地球に帰ろうとします。そこで、全て白紙に戻す作業をしてからでなければ帰ってはいけないと言うゴードンと軋轢が発生するわけです。
短絡的かも知れませんが、人間のクローン問題とかも考えさせる話ですね。
▲(解除)
※ 「ソラリス」再見、鑑賞後記
アンドレイ・タルコフスキー監督の「惑星ソラリス(1972)」のリメイク。というか、同じSF小説を原作としている映画であります。SF小説の金字塔と云われている、ポーランドの作家スタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』がソレで、私自身は本もタルコフスキーの映画も未見です。本はともかく、タルコフスキー版より1時間も短いソダーバーグ版を先に観てよいものかと思案しましたが、NHK-BS放送を録画しましたのでとりあえずチャレンジ。結果としては、タルコフスキー版にも興味が湧いたし、ネタバレしても『まぁ、体勢に影響なし』と読みました。
タルコフスキー版は、『ウィキペディア(Wikipedia)』に<監督は、のちに意図的に観客を退屈させるような作風を選んだ、と述べている>と書かれているように、前半に退屈なシーンがあるとのことなので、時間的にはソダーバーグ版で充分なのかも知れません。【原題:SOLARIS】
宇宙が舞台のSFです。背景は殆ど説明がありません。勿論未来の話ですが、それがいつ頃なのかは関係ないようです。
“惑星ソラリス”を調査中の宇宙ステーションが舞台で、ソラリスについては劇中人物の台詞で『(ソラリスは)監視されているのは分かっているようだ。』というのもありました。表面が海と雲に覆われている星なので、有機物があるだろうとの推測から資源等について調査しているのでしょうが、そのステーションの乗組員に異常が発生したので一人の専門家が調査に乗り出すというお話です。
心理学が専門のクリス・ケルヴィン博士(クルーニー)の所にNASAから人が訪ねてくる。何はともあれと差し出されたビデオテープには、クリスの友人で惑星ソラリスを調査中の宇宙ステーションのクルーの一人、ジバリアン博士(トゥクール)からの『君の力が必要だから来て欲しい。』とのメッセージが入っていた。憔悴しきったような顔の友人は、『ドラマみたいだが、これは真剣な話なんだ。』という前置きも付けていた。
自動運転で宇宙ステーションに着くクリス。目の前には“ソラリス”の青い海が広がっていた。
所々に血痕のついた人気のないステーション内で彼が見たのは、ジバリアンともう一人のクルーの遺体。船室にいたスノー博士(デイヴィス)を見つけて尋ねてみると、ジバリアンは自殺したとのこと。更に、クリス以前にやって来たNASAの応援部隊は全員が居なくなったこと、残っているのはスノーともう一人、女性の物理学者ゴードン博士(デイヴィス)の二人だけだということも聞く。
自室に閉じこもっているゴードンと話をすると、どうやら地球への帰還を拒んでいるのはゴードンらしい。物理的に帰れない訳ではない。だが、帰れないのだと言う。
長期戦を覚悟するクリスに、スノーは『君の睡眠時間はいつ頃だ?』と聞く。『君の睡眠中は、僕は部屋の鍵をかけとくよ』・・・。
製作にジェームズ・キャメロンも絡んでいるようです。「ターミネーター」のキャメロンではなく、「アビス」のキャメロンが興味を持ったんでしょうな。
原作にもタルコフスキー版にも哲学的な背景があるようですが、コチラもそのような匂いはします。かといって、意味不明な長回しのシーンがあったりとか思わせぶりな描写があるわけではなく、“ソラリス”が創り出したであろう超自然現象に、観客の方が「?マーク」の旗を抱えながら次の展開を待つという映画でした。コチラの能力不足で哲学的なメッセージが掴めていないので、残念ながらお薦め度は“並”になりましたが、今回のソダーバーグさんは、過去や未来、夢と現実を織り交ぜながら、珍しく主人公の内面にアプローチしているのが印象的でした。
スリリングな宇宙空間をイメージさせるBGM。時々、瞼を閉じるように真っ暗になるスクリーンも印象的。雨模様が多い地球のシーンは「ブレード・ランナー」みたいでした。
▼(ネタバレ注意)
見終わって、バリー・レヴィンソンの「スフィア(1998)」を思い出しました(原作:マイケル・クライトン、主演:ダスティン・ホフマン)。
アチラは頭の中の想像上のモノが具現化するというような話だったと思いますが、こちらもクリスが寝ている間に、死んだはずの彼の妻レイア(マケルホーン)が宇宙ステーションの中に現れるという展開。どうやらそれは、クリスの夢の中に出てきたモノを“ソラリス”が物質化したもので、ジバリアンには彼の息子が現れたようだし、スノーには弟や彼自身のコピーが現れる。
しかし、何故現れるのか。“ソラリス”の仕業ならどういう意図があるのか。そもそも仕業なのか。途中でジバリアンのコピーも現れてクリスと問答しますが、あの辺りに原作の味があるのかも知れません。
クリスの妻の死は自殺。身ごもった赤ん坊を内緒でおろしてしまった事にクリスが激怒して家を出たのが原因です。
最初にレイアのコピーが現れたときには驚いてステーションの外に捨ててしまったクリスだが、その後コピーが再び現れた後今度は彼女を連れて地球に帰ろうとします。そこで、全て白紙に戻す作業をしてからでなければ帰ってはいけないと言うゴードンと軋轢が発生するわけです。
短絡的かも知れませんが、人間のクローン問題とかも考えさせる話ですね。
▲(解除)
※ 「ソラリス」再見、鑑賞後記
・お薦め度【★★★=一度は見ましょう】
ああいう高尚な解釈ではなくて
ロマンティックなソダーバーグ版「ソラリス」のほうがすんなり入れました。
やはりさまざまな「ブルー」を駆使したソダーバーグの映像が狭い空間でも大きなスクリーンで効果的に作用していました。
私は単にこういう愛の形態も哀しいなあ、と感動した記憶が残っています。
小さな声で言わせて下さい。
・・・大好きな作品・・なの。
「ソラリス」がSFの形を借りた心理小説、ラブロマンスであることはわかりますが、深く考えると堂々巡りになりそうなので、いつの日にか巡り逢うだろうタルコフスキー版を観た後に考えようと思っています。あっ、タルコフスキー版には90分の短縮版もあるとのこと。できればソチラで、いきたいですな。
小声で教えて下さい。
・・・あのラスト、姐さんはハッピー・エンドとみました・・か?
劇場で2回観てるんです、これ。
やっぱり、スキです~~~ぅ、こういう感じ。
・・・
“ぼくは今生きてるんだろうか、死んでいるのだろうか・・・”
「もう、そんなことは関係ないのよ、これからはずっと一緒よ・・・」
ヒシッと抱きしめ合うふたり・・・
viva jiji・・・うっとり~♪~
あ? ハッピーエンドかって?聞いてるって?
・・・だから
~もう、そんなことは関係ないのよ、これからはずっと一緒よ・・・~
・・・・と微笑みながら、立ち去る、私・・・(笑)
あのラストはソダーバーグ版だけのモノらしいですな。
「解釈はご勝手に」という感じがねぇ・・・ちょい気になるオヤジです。
レンタルで特典映像でも見てみますか。
アッ・・・姐さん・・・行かないでェ~
タルコフスキー版の強烈なイメージが残っているので星は少なめにしたのですが、想念的ロマンス映画という独自の境地の作品と思いましたね。
オリジナルは哲学映画。そもそも、ヴェルヌやウェルズ以降のSF小説はもはや哲学と言うべきものが多く、依然ヴェルヌやウェルズ的な大衆性に留まっているSF映画とは相当乖離したものになっています。
そうそう、姐さんもずっこけたスピちゃんの「宇宙戦争」(ウェルズ原作)を<超ゴミ映画>とする記事を今日のwebryブログに発見しましたが、そう簡単に映画をゴミ扱いしないで欲しいですね。姐さんの酷評は痛快だけど、片や何の具体的な根拠もなく<ゴミ>と評する記事には不愉快を禁じえませんや。作品から色々な情報を得ようという映画への愛が感じられない。批判と悪口は違うということをブロガーは留意してほしいもの。
世評については知りませんでしたが、ソダーバーグということでそれ程期待しなかった割には面白く観れました。
「駄作」という言葉もめったに使わない当方からすると、「ゴミ」とはなんとも不遜な言葉ですなぁ。
せいぜい、「つまらない」「面白くない」くらいに止めて欲しいものです。