テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

☆ ロバート・レッドフォード 自らを語る②

2007-10-25 | ☆映画人
 レッドフォードを一躍大スターにしたのが69年の「明日に向って撃て!」である。
 この映画に出演するについては、3人の恩人がいるとレッドフォードは言った。監督のジョージ・ロイ・ヒル、脚本のウィリアム・ゴールドマン、そしてポール・ニューマンだ。



 最初、監督からはブッチ役にどうかと話がきたが、本を読んだレッドフォードはサンダンスがやりたいと言った。ポールの出演は決まっていて、映画会社は既に有名だった彼に釣り合う相手役を望んでいたので、レッドフォードの起用に反対したが、ゴールドマンも応援してくれて、その後ポールに会うと『一緒にやろう。』と言ってくれた。
 映画の原題は「BUTCH CASSIDY AND THE SUNDANCE KID=ブッチ・キャシディとサンダンス・キッド」。実は、当初は「THE SUNDANCE KID AND BUTCH CASSIDY=サンダンスとブッチ」という予定だったが、既にスターだったポールがブッチ役になったので、入れ換えたという次第。

 ロイ・ヒル監督とは気も合い、その後「スティング(1973)」、「華麗なるヒコーキ野郎(1975)」と出演する。

 後者は、元空軍のパイロットだったロイ・ヒル監督が自分の夢を描いた作品で、撮影のエピソードで一番面白かったのは、主人公のウォルドペパーが飛んでいる複葉機の翼の上を歩くシーンで、一部スタントマンも使ったが、レッドフォード自身も高度1800mの上空で歩いた事。
 子供の頃に兄とビルを登ったりして、“クライミングは一生の趣味”というくらいの彼だが、翼の上を歩いた時に操縦席を見るとパイロットが青ざめていたので、流石にその後は頭の中が真っ白になったと言った。それでも、翼の上からテキサスの大地を見下ろした時の感動は忘れていないようだった。

 「スティング」は、インディーズ系の人間がレッドフォードに話を持ち込んだのが始まりだったとの事。新人の脚本家に演出も兼ねさせようとしていたが、レッドフォードはコレは熟練の監督に任せた方がいいとロイ・ヒル監督を紹介した。本が気に入った監督は、『ポールも誘ってみようじゃないか』。こうして、再びトリオの作品が実現したわけだ。ポールの役は当初の本にはなかったそうだ。

 レッドフォードは自身の出演作品を観てないことも多く、このアカデミー賞受賞作品も完成品を観たのは数ヶ月前、レンタルビデオを家で孫と観たのが最初だと言っていた。封切時にはヨーロッパに行っていて、帰ってきた時には公開が終わっていたとの事。『娘にピザと映画を頼まれて、ビデオ屋で孫と見つけたんだ。』

 『「スティング」観たかい?』
 『いや。』
 『お母さんは、何してるんだ!(笑)』

 孫との交流をユーモアを交えながら語る、70歳前のレッドフォードでありました。



 ポール・ニューマンとの関連で面白かったのは、ポールの50歳のバースデイ・プレゼントに廃車となったスポーツカーを送った話。当時、二人は近所に住んでいて、レッドフォードはカー・レースに夢中なポールが車の話ばかりするのにうんざりすることもあったらしい。
 『それで、知り合いの車屋に頼んでポンコツのスポーツ・カーを探し、バースデイカードを添えてポールの庭に置いたんだ。カードには名前は書いておかなかった。』
 『すると、しばらくして自宅に大きな木箱が届いてきて、開けると、中には金属の固まりが入っていた。ポールの仕業に違いない。で、今度はそれを更に庭の置物になるように圧縮して、もう一度送り返してやった。業者は、結構儲けたな。』
 そして、『お互いに自分がやったとは言っていないんだ。』

(・・・続く)
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