「スターシップ・トゥルーパーズがなかったら…」
『シンドラーのリスト』に続く、スピルバーグによる第2次世界大戦もの映画。
いきなり余談で申し訳ないが、スピルバーグってオスカー狙いで映画を撮って、そしてオスカー取っちゃうんだから凄いなと思った。
とまあ、余談はどうでも良いとして、肝心なのは映画の中身。
舞台となるのは、第2次世界大戦時のヨーロッパ。
ベトナム戦争映画好きな私にとっては、あんまり欧州の第2次世界大戦下なんて馴染みがない舞台である(観たものといえば『コンバット!』と『Uボート』ぐらいか?)。
第2次世界大戦ものといったら、だいたい真珠湾か原爆ものしか観たことないからな~
というわけで、観る前は「生理的に受け付けるのか?」という不安が付きまとったものである。
でも、映画が始まるや否や……ああ、こりゃあ、もう反則ですぜ。
冒頭からノルマンディー上陸の最前線の戦闘シーンが始まるのだけど、カーゴシップの中でゲロを吐く兵士の姿を見ただけで、私の神経がチリチリとした。
そして、カーゴシップのハッチが開くや、ドイツ兵の機銃による一斉掃射、バタバタと倒れる……のではなく、肉体を撃ち砕かれて、まさに肉塊と化して死んでいく連合軍の兵士たち。
阿鼻叫喚ってのは、まさにこのことを言うのだろう。
この冒頭の30分超にわたる戦闘シーンは、まさに映画史上に残る戦闘シーンと言っても過言ではない。
そして、これゆえにR-15指定を受けてしまったのだ。
だが、私はない知恵を振り絞って考える。
第2次世界大戦以降も各地で戦争が起こり、冷戦を終えた現在となっては内戦と紛争が各地で起こっている。
そこで起こっている現実は、この映画以上に残酷で強烈でシビアだ。
だが、メディアはそれを報じない。
もちろん、カメラが入れないという物理的な障害もあるのだろう。
だが、我々は真実から隔離されたところで生きているというのも、また事実のはずである。
ならば、フィクションでもいい。
戦争というものを真っ向から捉えたこの映画をR-15指定なんかにするのではなく、むしろ全ての人々に観てもらえるようにすべきなのではないだろうか。
と、ここまでは冒頭の戦闘シーンについて。
この激闘の後は、ヨーロッパ戦線のどこかに降下したと思われるライアン二等兵を探すという、クソの山から針を探すような任務が課せられる。
この決断が下される経緯を観ていると、いつの時代でも、どこの国でも、軍隊も民間企業も、上層部ってのは下のことを考えていないんだなぁ…と妙に納得させられる。
そして、ライアン二等兵を探すミッションが始まるのだけど……言葉は悪いけど、任務開始からラストシーンまで、これまで観た戦争映画の良いところ取りだなって感じがした。
でも、それでもいい。
一つ一つのシーンで、私の魂が熱くなるから。
中でも、一番、魂が熱くなるのは戦友が死ぬシーンだろうか。
こういうシーンは何度観ても魂が熱くなる。
ついでといっちゃなんだけど、ベトコン相手にも、米兵は同じことをやっていたな~…などと妙に懐かしく感じたりも。
ああ、それと戦場の花形は常に飛行機ってのもお約束で、熱くなった。
そのせいか、『トップガン』は面白い映画だったけど、魂は熱くなれなかったな。
と、べた褒めにも関わらず10点は付けられない。
なぜかというと、描かれているテーマが私のナンバーワン・フェイバリットムービー『スターシップ・トゥルーパーズ』と全く同じだから。
『プライベート・ライアン』と何が決定的に違うのかというと、バーホーヴェンはあえてオスカーに背を向けて映画を撮ったということ。
冒頭にも余談として書いたけど、スピルバーグはオスカー狙いで、この作品を撮った。
でも、バーホーヴェンはオスカーを度外視して『スターシップ・トゥルーパーズ』を撮った。
このバーホーヴェンのスタンスが私の心の琴線に触れるのだ。
最後に。
タブーを承知であえて書くけど、日本もバーホーヴェンのような野心的な映画を撮ってもいいと思う。
南京で起こったことが事実なのか否か、それは問題ではない。
日本軍が行ってきたことは歴史的な事実。
それを描く作品が、撮られてもいいと思うのだけど……
やっぱりアジア諸外国との関係、ならびに敗戦国という立場がそれを許さないのかな。
『プライベート・ライアン』(テレビ)
監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:トム・ハンクス、トム・サイズモア、エドワード・バーンズ、バリー・ペッパー、アダム・ゴールドバーグ、ヴィン・ディーゼル、ジョヴァンニ・リビシ、ジェレミー・デイヴィス、マット・デイモン、他
評価:9.9点(限りなく10点に近い!)
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