36歳のマルディーニに多大な敬意を表するカルロ・アンチェロッティ監督
1985年1月20日。この日のフリウリ・スタジアムは、寒さと強い風に見舞われていた。
当時ACミランを率いていたニルス・リードホルム監督は、チェザーレ・マルディーニ氏の
16歳の息子に向かって、どのポジションでプレーしたいかを尋ねた。
『右サイドバックとしてプレーしたい』とシャイなティーンエージャーは答えた。
あまり知られていないが、実は右足が利き足。
ウディネーゼとミランの試合は、結局1-1の引き分けに終わった。
だが、サッカー史に残る名ディフェンダーの1人がデビューした一戦として、
常に人々の心に刻まれることになるだろう。
あれから20年。
パオロ・マルディーニは、あのウディネでの冬の日と変わらぬいい状態で、プレーを続けている。
16日には、奇しくもデビュー戦の相手、ウディネーゼとの試合を3-1で制し、
自らのプロデビュー20周年に花を添えた。
いつもと変わらぬ情熱、強さ、スタイルでプレーしたマルディーニは、
この日、世界屈指のセンターバックになる以前に何年も務めてきた左サイドバックで出場した。
そのウディネーゼ戦の後、マルディーニは
『私は、私のクラブ、私の街で、父がプレーしたクラブでの20周年を祝っている』と感極まった。
『将来、孫に話して聞かせる、いい話になるだろう』
ミランとの契約は、2006年に満了を迎える。
しかし、現在36歳のマルディーニは、まだ引退するつもりなどない。
『私はプレーすることをまだ愛している。いつでも好きな時に契約を延長しよう、
とミランは言ってくれた。だが私は、1年以上の契約にはサインしないと約束した』
とマルディーニは軽口をたたいた。
マルディーニ
-----------------------------------------------------------------------------------
旋風、栄光、挫折、復権....
ミランが築いてきた一つの時代と共に彼は戦い続けた。
彫刻のような姿態に魂を宿らせたそのプレーは、バレージがピッチを去った今
まさにロッソネロの象徴である。
『継承されたキャプテンシー』
まさにイタリアのカリスマ的な存在である。
彼がACミラン・イタリア代表としてキャプテンをしていたことにより
どんなにチーム全体がまとまったことであろう。
日本にもこれだけのプレーヤーがいるであろうか?
40歳になろうとしている現在も若手に負けないプレーは、健在である。
彼が、引退するときにはキャプテンを引き継げるだけの選手が現われたときかもしれない。
1985年1月20日。この日のフリウリ・スタジアムは、寒さと強い風に見舞われていた。
当時ACミランを率いていたニルス・リードホルム監督は、チェザーレ・マルディーニ氏の
16歳の息子に向かって、どのポジションでプレーしたいかを尋ねた。
『右サイドバックとしてプレーしたい』とシャイなティーンエージャーは答えた。
あまり知られていないが、実は右足が利き足。
ウディネーゼとミランの試合は、結局1-1の引き分けに終わった。
だが、サッカー史に残る名ディフェンダーの1人がデビューした一戦として、
常に人々の心に刻まれることになるだろう。
あれから20年。
パオロ・マルディーニは、あのウディネでの冬の日と変わらぬいい状態で、プレーを続けている。
16日には、奇しくもデビュー戦の相手、ウディネーゼとの試合を3-1で制し、
自らのプロデビュー20周年に花を添えた。
いつもと変わらぬ情熱、強さ、スタイルでプレーしたマルディーニは、
この日、世界屈指のセンターバックになる以前に何年も務めてきた左サイドバックで出場した。
そのウディネーゼ戦の後、マルディーニは
『私は、私のクラブ、私の街で、父がプレーしたクラブでの20周年を祝っている』と感極まった。
『将来、孫に話して聞かせる、いい話になるだろう』
ミランとの契約は、2006年に満了を迎える。
しかし、現在36歳のマルディーニは、まだ引退するつもりなどない。
『私はプレーすることをまだ愛している。いつでも好きな時に契約を延長しよう、
とミランは言ってくれた。だが私は、1年以上の契約にはサインしないと約束した』
とマルディーニは軽口をたたいた。
マルディーニ
-----------------------------------------------------------------------------------
旋風、栄光、挫折、復権....
ミランが築いてきた一つの時代と共に彼は戦い続けた。
彫刻のような姿態に魂を宿らせたそのプレーは、バレージがピッチを去った今
まさにロッソネロの象徴である。
『継承されたキャプテンシー』
まさにイタリアのカリスマ的な存在である。
彼がACミラン・イタリア代表としてキャプテンをしていたことにより
どんなにチーム全体がまとまったことであろう。
日本にもこれだけのプレーヤーがいるであろうか?
40歳になろうとしている現在も若手に負けないプレーは、健在である。
彼が、引退するときにはキャプテンを引き継げるだけの選手が現われたときかもしれない。