25歳に脱サラして学習塾で小中高生を教えだしたのをはじめ
武術(太極拳・形意拳)、武道(合気道・空手道・居合道)、書道で指導を続けて
35年が過ぎ去り、あっという間の(一言では言えないが)ことでした。
時の過ぎ去るのは、そんなもんですが
今現在は、空手の道場はやっていませんが
合気道と居合道、九十九式太極拳は指導を続けています。
コロナの令和2年には
書道カルチャー講座は閉鎖となり、今は行っていません。
私の教える講座やレッスンすべての中に一貫したものがあります。
それが「むすび」というある種、技術ですが
むすびは、心身統一や相手を大切に扱う、とか、愛や和する‥
たしかにむすびを武術などで体得した方の口からでる
言葉はその通りなのです。
しかし、これから「武術むすび」を身に付けようとする初心の人には
それらの言葉は、案外邪魔になったりします。
私は、意氣体実践セミナー、その他で
むすびを指導する際は、
意識→氣⇒体の動きの順に学ばせています。
この意識と氣はバラバラではなくて
その人(個体)のなかに同居しているみたいに一体となっているものです。
むすび<ある種の技術>は、
その力は、
程度の差はありますが例外なく誰にでも備わっているものです。
そういう潜在能力としてみるならば「技」とはいいがたいかもしれませんが
努力して身に付けるオリンピック体操選手の技のようなものとは異なる
ということは確かです。
しかし、いくら人間にもともと備わっているものであっても
努力(遺伝子のswitchを探して、使って、作用を起こして確認して、フィードバックして)
することは要ります。
それを、思い出すと表現してレッスンしたこともあります。
むすびを教えていて、
私が最も言いたいこと、分かってほしい事は、
自分を頼りないもの
おのれを弱者と決めつけて
自分以外の者・何かに頼り、すがろうとする人は
むすびは絶対に習得できませんし
何時までも、他人の口から出た言葉をなぞるだけとなります。
厳しいことを言うかもしれませんが
むすびの構造は、「自立」という意識だからです。
自分の足で立たない人はむすびをつくることは不可能です。
むすびは、心身統一のみならず
その使い方応用は
他ともつながれるという至ってシンプルなものです。
介護、護身/武術、スポーツ、人間関係、茶道など
他とつながれるという事の意義はとてつもなく大きいものです。
「むすび」は強力な助っ人となります。