今日は
3人の方が稽古に来られました
まずYさんが玄関を入って来られ
鮮やかな赤いブラウスが素敵!
続いて入ってこられたMさんは
深みのある緑色のブラウス
お二人が並ぶと
何となく赤と緑の
信号みたいですね~
と笑っていたら
何と3人目に入ってきた
Kさんは
まさかの黄色のブラウス!
正に
信号機が完成しました(*^_^*)
稽古が終わった後
仲の良い三人だから
こんなこともあるのかなあと
思いながらも
これは何かメッセージ?
などと考えていた時
ふと
昨日の出来事を思い出しました
実は昨日お稽古の始まる前
ある方が
こんな話をされました
「この前近所の道を歩いていて
小さな交差点を渡ろうとした時に
急に目の前に車が出てきて
はっとびっくりしました
その道路は
普段ほとんど車が通らない道で
それでもなぜか信号機があって
その時も
実は赤信号だったけど
何となくぼうっと
歩いてしまったんです
やっぱり
信号は守らなければ
いけませんね
反省しました!」
彼女のその話を聞いた私は
「信号よりも
車が来ているかどうか
そっちを先に確かめて!」と
思わず叫んでしまいました
ほとんど数秒で渡ることができる
小さな道路なら
左右を確認して
全く車が来ないのであれば
たとえ信号が赤であっても
実際には何の危険もないでしょう
でも
信号機の有無に拘わらず
自分の目と耳で
安全を確認して渡ることの方が
信号を見ること以前に
とても重要なことではないかと
思ったのです
彼女の何気ない一言に対して
私が敢えてこんな言葉を
思わず口にしたのは
あとから冷静に考えると
明確な理由があったような気がします
それは
外から与えられる情報のみに頼って
自分自身の感覚をないがしろにしている
世間の多くの人々の在り方に対して
常々感じていた疑問に
突き動かされたという感じです
パンデミックの時もそうだったように
最近の地震や
台風に関する情報に関しても
私たちは
もっと自分自身の力で
必要な情報を取捨選択し
自らの直感を鋭くし
行動を意識的に
選択していかなければ
永遠に
外部の情報に振り回され続け
ついには
自分で考える力を
失ってしまうのではないでしょうか
マスコミでは
盛んに
感情に訴えるような報道が
繰り返しなされています
またネットでの情報発信など
多種多様な情報の溢れる今
外からの情報に従うことは
決して間違いではありませんが
全てを盲目的に受け入れるのではなく
主体的に必要な情報を選ぶと共に
それ以上に
自分自身の五感を活用し
目の前の状況を自ら判断する力を
なくしてはならないと
思うのです
大げさかもしれませんが
これからの人類にとって
今こそ
一人でも多くの人が
このことに気づく必要が
あるのではないかと
思っています