雑談16
2021-08-14 | 雑談
『赤光』に「赤光」が、まるまる初句で出てくるのは次の二首。
赤光のなかに浮びて棺ひとつ行き遥けかり野は涯ならん
*赤光:しやくくわう 棺:くわん 遥:はる 涯:はて
赤光のなかの歩みはひそか夜の細きかほそきゆめごころかな
*赤光:しやくくわう
初版『赤光』の跋文に「赤光」の説明がある。
本書の「赤光」という名は仏説阿弥陀経から採ったのである。彼の
経典には「池中蓮華大如車輪青色青光赤色赤光白色白光微妙香潔」
というところがある。
幼児期、遊び仲間の雛法師(子どもの僧侶)が、
「しゃくしき、しゃっこう、びゃくしき、びゃっこう」
と遊びながら暗誦しているのを聞き覚えたのが最初なのだそうで、
「シャッコウ」が「赤い光」なのを知ったのは上京後、
『新刻訓点浄土三部妙典』を手に入れてからのこと。
まず耳から「シャッコウ」、そして文字の「赤光」、
それから極楽浄土の「赤い光」の色とイメージと意味。
この順で茂吉の胸中に赤光は入っていったのだろう。
白き華しろくかがやき赤き華あかき光を放ちゐるところ
華:はな 「地獄極楽図」『赤光』
地獄極楽の極楽部門の「あかき光」は、存外深いところで
茂吉の「赤」と「光」を支えていたのではなかろうか。
「赤光のなか~」の二首はあまり脚光を浴びていないようだ。
茂吉自身、自選歌集『朝の螢』に選んでいない。
でも、現世での赤い夕光であると同時に、極楽浄土の赤い光でも
あるのだろうから、も少しありがたく思ってもよさそうな。
野辺の送りの棺の極楽行きへの確信と祈り、とか、
当時はまだ刊行されていないけれども『梁塵秘抄』の、
「仏は常にいませどもうつつならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁にほのかに夢に見えたまふ」
にも通じる、ひっそりしたフラジリティとか、
「はるけかり・はてならん」、「ほそき・かほそき」といった、
着くか着かぬかぐらいの音の反復、とか。
茂吉の持つ歌謡性の脆弱さ、そのよろしさを賞味したくなりはすまいか。
新潮文庫の『赤光』の表紙。
お洒落な「のど赤きつばくらめ」の画。