
今日はクラクラしそうな暑さでしたね!
あまりの暑さについに私のプライベート写真を公開する気になりました。
と言っても、昭和32年(1957年)の話です。
この年は冷夏で、平年より0.9度程平均気温の低い夏だったそうです。
その頃の平均気温は今より低めですから、さぞかし涼しい夏だったことでしょう。
何故それを覚えているかというと、夏休み帳(宿題)に毎日の天気と気温を記録して提出する欄があったからです。
最高30度を超える日がとても少なかったのを覚えてます。
それでも陽の光は燦燦と降り注ぎ、学校から海水浴にも行きました。
先生と一緒に水遊びするだけで、嘘みたいな校外行事でした。
写真は湘南海岸で、担任の先生と。
今から考えるとこういう形で先生が生徒を抱くのはセクハラって事なのかしら。
でも生徒も先生も全然無邪気だったようです。


東京都の区立小学校の予算は十分潤っていたのでしょうか?
豪勢な社会見学を体験しております。
国会議事堂と迎賓館(昔赤坂離宮と言った)にバスで出かけ、重厚で豪華絢爛の内部まで見学できました。
現在のような警備体制は全くとられず、政治的意識も何も持たない小学生が、説明も丁寧にされてお客様の様に扱われたのです。
赤坂離宮の内部の天井画は素晴らしく美しくて、なんだかとても得した気分になりました。
子供は宝の時代だったのですね。
大人が大人らしくて優しかったです。
今のように子供が貴重な時代、もっと宝物扱いしてもいいのではないでしょうか。


遠足は、春と秋にあって、この年の春は千葉県館山の海岸、秋は箱根に行きました。
箱根では、男子ばかりで露天風呂を占領していたので、女子が大挙して(何も身に着けずに)「不公平だ」と押しかけました。
岩風呂で楽しそうにバチャバチャやってた男の子は全員逃げ出しました。
団塊の時代の先駆けみたいなんですが、いくら子供でも天然過ぎたと思います。

ただ、このように遊んでばかりいた訳でもなく、6時間授業で土曜日は4時間の授業をばっちり受けていました。
もちろんメカで学習なんて夢にも想像してないので、読み書きそろばん(計算)を競っておりました。
それと、考える力を先生の無駄話(?)から教わりました。
配置は一つの机に二つの椅子を並べ、てました。
席替えがある時は結構期待時してました。
好きな子だといいなと思ったのです。
6年から男女の席は一緒でなくなりましたが、それまで結構小さな胸がときめいた事もあります。
思い出は皆良く思えるのか、適度に涼しくて気持ち良い気候だったためか、私の昭和32年は豊かに楽しい思い出で彩られています。