読書の森

お久しぶりの太陽



窓を開けたら、おお、懐かしい青空が覗いていた。
洗濯物を片付け、早昼を食べると、何かウズウズしてきた。
ちょっと遠出したくなる虫が騒いだのである。
今や、全く気ままに出来る時間なので、「出かけよう」と思って電車の乗ってから「どこへ」と決める最近である。


行く先は世田谷区の上野毛。
昔々、私はこの優雅なお屋敷町にあるキリスト教系の私立中学に通っていた。
その学校はずっと以前に廃校となっている。

東急電鉄の生みの親、五島慶太の広大なお屋敷が橋を渡ったすぐ傍にあった。
昔の庄屋屋敷を思わせる造りで、母屋に至る道が立派な庭園に囲まれてあった。
別世界のようだった。
ただし、この屋敷は五島慶太の死後、美術館として立て直され、もはや見る事は不可能である。

約半世紀ぶりに上野毛駅に降り立った私は、浦島太郎の気分だった。
広い道路が新設され、その昔学校帰りに通った小さなパン屋なんて完全に消えている。

しおしおと肩を落として歩く私に、見知らぬ街が広がっている
打って変わった人家の多さに東京の人口増加を身に染みて感じた。
ただ、人家の庭先にいた猫の姿は昔と変わらない(勿論何代後の子孫か知りませんが)。

ともかく、昔日の面影を求めるには住宅街の奥に入るに限る。

止せばいいのに、奥へ奥へと進んだ結果、今も変わらずある大学、多摩美術大学に行き着いた。
明るく軽い雰囲気の大学だったが、50年の月日は木立を大木に変え(そんな早くはならないか?)、風格を増していた。



大学に沿って歩くと長い石畳の坂道があった。
ここまで行くとビルやコンビニは姿形もなく、ただ瀟洒な邸宅が続くのみである。
大東京23区内だというのに、人っ子一人いない。
日差しは容赦なく照り付ける。
脚は痛む。
ここで転ぼうと倒れようと誰一人気が付くまい。
脚の悪い私にとって脅威の坂だったが、何とか無事に下った。



かって江利チエミと高倉健の新居があった(昭和30年代に)坂の上の住宅街を横目に見て、小さな川沿いに歩く。
横に小高い丘があり、緑濃い一角である。
中学の時、茶道部に属して、部活動の時丘の上のお茶室に上ったがこの辺りではなかろうか。
木陰があってほっとする。
しかし、計算外の暑さではある。

早く駅に帰ろうと思う気持ちと、せっかくここまで来たからもう少し歩きたい気持ちとせめぎ合う。
ふうふう言いながら、ただ歩く。



歩いていたら、前方が開けた。
多摩川に近いのである。

整備され美しく広い区立の公園が広がる。
さすが、世田谷区である。
「私の住んでた時は無かったよな」とベンチに腰掛けて一息ついた。

二子玉川駅はもうすぐだ。



駅近くの路上で涼やかな桔梗を見た。
幸せな気分になる。

日差しに浮かれて、二駅分たっぷり歩いたが、もうこんな無謀な散策は止めとこうと思った。
何故なら、顔は人が笑って振り返るほど真っ赤に火照り、頭と脚がじんじん痛んで(顔色から元気そうに見えたらしいが)、心は真っ青になったからだ。
今度からもっと計画的にしようと思う。
それでも、楽しかった小さな旅である。

読んでいただき心から感謝いたします。

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