
『百年 風を待つ』は図書館で見つけた本の題名である。
表紙に青い内海と夏の雲とヨットの画像が使われていた。
脚を故障して勤めていた会社を退職し、受けた手術も上手くいかなかった私の心も風を待っていた。
だから、この題名を見ただけで中身も確かめずにその本を借りた。
その本の著者は高木功というシナリオライターだった。
本が出版された時すでに故人だった。
1956年生まれで1994年に他界、享年38歳である。
彼と親しくしていた映画作りの仲間の呼びかけでこの本を世に出した。
酒と旅とを愛していた無頼な高木功が作った映画の悉くは、ポルノ作品である。
彼は多分それに飽き足らなかったのだろう。
オール讀物新人賞に応募し、賞を獲得した。
入賞後改題されたが、応募した時には『百年 風を待つ』と題されていたのである。
ここで、風はそよりと吹いただけなのだろう。
次回作も売れた訳でもないらしい。
彼は又いつかを期していたのだろうか、再び映画作りに熱中している最中に心臓発作で倒れ、そのまま息を引き取ったという。

作者の境涯と、残した数編の小品、エピソードを載せた本だが、その時の私の印象は「貧乏くさい」というものだった。
勤めていた時に、優雅な生活が出来て私はかなり傲慢なところがあった。
ぼろアパートに住み、安酒を飲み、いきずりの女を抱く著者の生活が、ひどく貧乏くさく頼りなく思えたのである。
そして、よくよく作品を味わう事も無しにすぐ本を返却してしまった。
しかし、それから数十年たった今も背表紙の青い空や海、そして風を待つ舟の画像とその題名は脳裏に焼き付いて離れない。
「生きたかっただろうな。風に吹かれたかっただろうな」と今なら分る。
試みにネット書店で、創元社発行の『百年 風を待つ』を検索すると、在庫なしという結果だ。
ただ、今もこの作品を愛しているコアな読者はいるらしい。
私の記憶にも染みつく本を出した彼に、やはり風が吹いているのかもしれない。
自分に風の吹く訳などないと諦め切るよりも、いつか吹く風を待って生きていた方が幸せな気がする。