もっともな事で、元々「立春」は旧暦の名称なんです。旧暦は太陰暦、現在一般に用いてるのは太陽暦です。太陽暦はご存知のように太陽中心に考えたもので地球が太陽を一周する時間の長さを一年と数えます。
太陰暦は月の満ち欠けを基にした暦で、実は今日はほぼ旧暦の元旦、つまり初春でございます。立春は新しい春が始まるという意味で陽気が春に変わる意味ではないようです。
ポカポカした春は旧暦では春分の頃、3月30日なんです。日本列島は桜の開花と共に春が来るんですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/cc/f43bfc0748ab508a1782b21983f2690f.jpg?1707025342)
新暦が採用されたのは明治の初め。江戸時代迄は立春に若水を汲み、幸せを祈ったとの事。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/e4/a6c1ed9ca77f21473e91358075ac66c8.jpg?1707025342)
ちなみに中原淳一描く挿絵、昭和25年二月の友人との団欒風景です。(都内の家庭をモデルにしてると思う)
暖をとるのが火鉢、みんなで温かい雑炊を作って食べる相談をしてます。
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新暦が採用されたのは明治の初め。江戸時代迄は立春に若水を汲み、幸せを祈ったとの事。
ゆかしげな太陰暦が廃止されたのは別に明治の人が西洋かぶれした訳ではありません。
太陰暦だと一年の内で約一月が余ってしまう。為に生じる不都合は太陽暦ではほぼ起こりません。とは言え、一年はきっちり365日ではない為、4年に1回閏年があります。
このような点から、自然界についてはきっちり数字で割り切った見かたをしない方が、例外の存在を考慮した方が宜しいのではないか?
と私は思います。
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ちなみに中原淳一描く挿絵、昭和25年二月の友人との団欒風景です。(都内の家庭をモデルにしてると思う)
暖をとるのが火鉢、みんなで温かい雑炊を作って食べる相談をしてます。
私の場合、昭和29年頃掘り炬燵(炭火です)を囲んでミカンを食べた記憶があります。東京でも結構雪が降る日はありました。ただし自家用車など殆ど皆無の時代なので当然雪による自動車事故も聞いたことないです。そして気温は0度以下の朝でも子供の事でさほど驚く事もなく痛痒はなかったです。
全体に寒くても寒暖差は今ほど激しくなかったと記憶してるのです。
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自然界の進化というのは人間界の進化よりも遅れているので、さぞや馴れずに困ってる(?)木々もあるかも知れません。
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自然界の進化というのは人間界の進化よりも遅れているので、さぞや馴れずに困ってる(?)木々もあるかも知れません。
別に木々に合わせる必要はないけど、結構彼らは怒ってるかも知れませんよ^^