読書の森

昭和半ばの秋のこと その2



豊は明らかに困った表情をしていた。
美佐子は慌ててハンカチで涙を拭き、クシャクシャとした顔を見せた。

「ごめん、泣いちゃって。私薮睨みでしょ。そばっかみたいに悩んでここまで来ちゃったの」
(それは何も今日に限った事でないのに、言い訳っぽいなと思いながら)

「なあんだそんな事気にしてるのか。見た目全然分かんないよ。
その程度なら訓練で良くなるってよ」
豊の表情が急に崩れて子供っぽい地の顔が覗いた。

「ありがとう。でもいくら悩んでいるったって、こんな看板の前にいる事ないよね」
「誤解される元だ」
豊が笑って頷いた。

「じゃあね、さよなら」
唐突に叫んで、美佐子は一目散に自分の家の方向に駆け出した。
恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がなかったのだ。

男の子に対しておよそポキポキした態度しか取れない自分が情け無いと又思った。
美佐子は、唯一の近しい男性である父親と殆どの口を聞いた事がなかった。
母に軽蔑されきってる父親を避けていたし、母も父と娘の会話を好まなかったからである。

しかし、佐木豊の言葉は大袈裟に言えば干天の慈雨のように美佐子の心を潤していた。

その日の麗かな日を浴びながら、美佐子は豊の言葉を反芻した。
「佐木君に会いたい。会いたい」
その思いに押されて、美佐子は電車に乗らずに、豊の住む町まで歩く事にした。

学校で渡された名簿に学年全部の住所が載っていた。
美佐子は豊の住所を暗記している。

それは、丘の上の昔からのお屋敷町である。
初めて行く場所だが、躊躇はない。
見に行くだけである。
行ったところで佐木の姿が見られるとは限らない。
見つかったら嫌がられるに決まってる。

それでも、今の美佐子にとって彼の住む所に行けば、乾ききった心が癒される気がした。
自分の本当に欲しいのは、別に綺麗な外見ではないのだ。
当たり前の人間らしい愛情なのだ。

あんな愛情の薄い両親よりも、佐木君の方がよっぽど人間らしい普通の思いやりを持っている、せめてその人の温もりを感じる場所に行きたい、そんな衝動に急かされて、美佐子は短絡的な行動をとった。


佐木豊の住む家は、しっとりとした日本家屋だった。

豊は、子供の居ない伯父夫婦の住まいの2階に下宿してるという。
2階の物干しに日光を浴びて洗濯物が干してあった。
豊の制服らしいシャツが青空に美しくひらめいていた。

それだけで美佐子の胸の奥がキュンと鳴った。
苦しくなった。
「どうせ、向こうは自分の事なんて何とも思ってないんだ」

美佐子は回れ右をして今来た道を引き返していった。
そのまんま、帰宅するのが嫌で細い川に沿ってただひたすら歩いた。

町の様相が変わり、川沿いに質素なアパートがある場所に出た。

その時、「おねえちゃん、待って」
女の子の細い声が聞こえた。
「えっ」
後ろを振り返るとボサボサしたおかっぱ頭の女の子が美佐子をじっと見つめていた。
身なりがいかにも貧しそうである。

「おねえちゃん、お願い。私の家に来てよ!」
女の子は半ば強制的に美佐子の手をとった。
「そんなあ!どうしてなの?
私あなたのこと全然知らないんだけど」

それでも子どもはじっと美佐子を見つめたままである。
美佐子の顔に女の子の目が貼り付いていくようである。
目鼻立ちが整った可愛いその顔が何故か不気味に見えた。
(残念ですが、本日はここまで。続く)

読んでいただき心から感謝します。 宜しければポツンと押して下さいませ❣️

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