見出し画像

読書の森

昭和半ばの秋のこと 最終章


「聞きたいことがあるの」
美佐子は尋ねた。
「あなた私のこと何も知らないんでしょう。
なのに、どうして自分の家に来いなんて言うの。変だと思う」

女の子は追い詰められた表情になった。
「だっておねえちゃんの目がとっても綺麗に澄んでて、それにとっても寂しそうだったから」
答えになってない答えだったが、美佐子には伝わるものがあった。

「それで、あなたのお母さんやお父さん家にいるの?」
女の子はきつい目をして首を振った。

ああ、この子も一人で寂しいんだ、瞬間美佐子は理解した。
この子の寂しい魂が美佐子の寂しい心を捉えたのだ。

「お願い。来てよ」
女の子は小さな細い手で美佐子の手を引っ張る。
美佐子はその子の母にでもなったような情がわいて、言うがままに付いて行った。

女の子が住む木造アパートはひどくみすぼらしく古く見えた。
ガタガタと音がする鉄製の階段を上って、一枚板の様なドアを開けると、ささくれた畳が見えた。

極端に家具の少ない四畳半と同じ広さの
台所の部屋だった。
曇りガラスに西日が当たっている。

早苗と名乗った女の子はソワソワと動き始める。
押し入れを覗き込んで座布団がないと騒ぎ、傷だらけの戸棚を開けて何か探し出した。

やがて女の子はニッコリ笑って、ちゃぶ台の前に粉末ジュースを入れたコップを置いた。
「飲んで!」
強制的である。

美佐子は恐る恐る口にした。
古い粉らしく変な香りがするのを我慢して飲み込んだ。

「それでお母さんたちいつ帰るの?」
いたたまれない気持ちで美佐子は尋ねた。
早苗は黙って笑っている。
美佐子が、というより生身の人が側にいる事が嬉しいのだ、と美佐子は感じた。

そして、この子は親に捨てられたのではないか、と瞬間的にひらめくものがあった。
貧しい暮らし、足出纏いの子ども、家賃も払えず、親は逃げ出してしまった

美佐子は急に不安になってきた。
早苗が纏わりついて離れないおんぶお化けの様に思えた。
「悪いけど帰る」
立ち上がると物凄い勢いで早苗が押さえつけた。

「嫌だ。行かないで!行かないでよ」
早苗の綺麗な顔が歪んでいる。
美佐子は力を抜いた。

「うん分かったよ。でもお話聞かせてよ、どうしたのよどうして帰って来ないのよ、あなたのお母さん」
女の子は青い顔して黙り込んでいる。

この子の家にどんな込み入った事情があるにせよ、自分とは関係のない話だ。
美佐子はかってない残酷な気持ちになった。
優しい顔を作って見せて、早苗の肩を撫ぜた。
彼女の毛玉だらけでほつれたセーターが哀れだったが、美佐子はそれどころでなかった。

「お便所どこにあるの?」
しばらく時が経って尋ねると、案の定廊下の外の共同の場所にあった。
「ちょっと借りるね」

美佐子はそっと部屋をでて素早く階段に出た。
音を立てぬ様気をつけながら、一気に階段を降りた。
降り切ると全速力で元きた道を引き返した。

途中、石に足が引っ掛かって鋭い痛みが走った。
それでも美佐子はハアハアと息を吐きながら、走った。

ただ怖かった。
小さなみすぼらしい少女に過ぎないのに、無性に怖かった。


家の近くの公園に着いた早苗は溜息をついた。
今自分がやった行為は危険から逃げたというより、哀れな子どもを見捨てただけである。
これからあの子はどうやって生きるのか、私の知った事じゃない、私に責任ない、美佐子は自分に言い聞かせる。

しかし、美佐子の心の奥の声は否と言うのだ。
「形こそ違え、お前も寂しさを癒してくれる相手を闇雲に求めていたでは無いか?
相手の気持ちなど思いやる気持ちなどそこには無い。
ひたすら自分を認めて欲しくて愛されたいだけだ」

年上の自分は、せめて早苗を安心出来る状況に導く事が出来たのではないか。
ホントの事を言えなくても、親が帰らない事だけでも人に伝える事は出来たのではないか。

心が痛んで、こんなに悩ます早苗が小憎らしいと思い出して、美佐子はハッとした。
この戸惑いは自分の母の気持ちと通じるものがあるのかも知れない。

可愛くていかにして愛されるか考えてれば良かった娘時代を送った志津子が、望んでもいない母になった時、その子をどう思うのだろうか?
夫はかっての様に自分を愛しいと見てくれない。
その子は自分を愛してくれる存在ではなく、自分が愛してくれるのを待つ存在なのだ。

勿論、その時、このような論理的思考を美佐子が持った訳ではない。
ただ、早苗も寂しい、美佐子も寂しい、それと同様に未だ娘のような母も寂しいのだという思いが、まるで天から降ったように美佐子にわいたのである。

豊への淡い思いは、きらめく夕焼けのように魅力的だったけれども、自分は又母の待つ家に帰るのだ。
早苗の抱える非日常的な不幸に比べ、いかに自分が恵まれているか、美佐子は初めて分かった気がした。
そして再び受験生としての日常が戻るのだ。
他でもない自分のために頑張るだけだ。

暮れ方、帰宅した時迎えた不機嫌な志津子の顔を、ひどくほっとした思いで美佐子は眺めた。
見慣れた調度にほっとして有り難く思える。

「お母さんごめんなさい。
お腹空いちゃった。何かない?」
美佐子はここ二、三年出した事もなかった、素直で優しい言葉を母にかけた。




ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「創作」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事