読書の森

冤罪



松本清張のヒット作の一つに『霧の旗』がある。
してもいない罪に陥れられて無念の中で死んだ兄の敵をとる美少女が主人公である。

このような冤罪をテーマにした物語は多い。
又、この世の中に冤罪を被り、身を滅ぼす人が想像以上に多いのは確かである。

痴漢行為とかセクハラとか暴行とか、被害者が申し立てれば、事実関係を確認されずに犯罪者になり得る。
公が調べれば大丈夫と言うのは甘い。

現実には疑わしきは罰せず、ではなく、まず疑ってかかる世の中である。
特に弱者が弱者を罰しやすい世の中になっている。



図書館で読んだ冤罪の実例を紹介する。

独身女性が持ち物を遺して行方不明になった。
連絡が絶えていて、犯罪に巻き込まれたと警察は考えた。
残した携帯に最後に電話をかけた男が疑われた。

その男は自営業の妻帯者である。
不倫を清算する為に交際相手を殺害して何処かに死体を隠したと警察は先読みした。
他に疑いをかける人間が居なかったからだ。
「お前がやったんだろ!白状しろ」
彼は過酷な取り調べを受けた。
しかし、確かなアリバイは無いし女と別れたかったのは事実である。
そんな事はしないと叫び続けても、犯人は必ずそういうと責められる。
朦朧した頭で本当は殺したのかもと迄思い出した。
心身共に憔悴した彼の噂は噂を呼び商売は廃業に追い込まれた。

ただ肝心の女の死体は何処からも出てこないし、行方不明になって生きてる可能性もある。
とうとう警察が諦めた時彼は廃人同様になっていたという。

死体も出てこないのに殺人容疑なんて、推理小説でもあるまいし、信じられない。




例えば、パソコンの記録に残っていても、
それは必ず真実とは言えない。
ツイッターなど瞬時の判断で呟く言葉、その後別の考えを抱き実行した事は充分考えられる。

一番危惧するのは冤罪を作る事以上に、白か黒か上から告げられると、本来灰色なのに単純に白とも黒とも認識する現代社会の構造である。

見た目が全てではないし、人の噂が全てではない。

ありもしない誤解があったとして、本人が晴らそうとすればするほど、本人を窮地に陥れる事を皆知っているらしい。

ネット社会にある盲点、情報が驚く程早く伝わる為に真偽が定かでない今、ひどく臆病な社会に堕ちっている様だ。

それほど臆病になっている反動の様に以前からは信じられない凶悪非道な事件が起きている。



元々罪を犯していないのなら、冤罪を恐れる事はない筈だ。
ところが本人が身を滅ぼす冤罪事件はある。

確たる情報が今日程貴重な時代は無いと思える。
何がホントで何がウソか、肩ひじ張って主張しなくても、安心出来る世の中なのだろうか?


読んでいただき心から感謝いたします。

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