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読書の森

水上勉『飢餓海峡』

『飢餓海峡』は昭和38年出版された水上勉の出世作です。
戦後間もない日本の暗く貧しい人々の生活がリアルに描かれてますが、今となるとセピア色の懐かしい写真を見ているような思いがします。

世の無常によって有為転変する人の世は、どんな苦痛も過去になってしまうとそれなりの感慨を込めて振りかえれるものかも知れませんが。

ただし、これは明日への希望が残る時期に限るようでございますが。


昭和22年、冬の津軽海峡を渡る一艘の小舟、それを漕ぐ逞しい若い男は金の為北海道岩内の一家惨殺をした上、仲間を殺して盗んだ金を持って本州に渡ろうとしています。
ところがその時海峡は強い嵐に襲われたのでした。転覆した小舟。

その後上映した映画の思い出の画面です。犯人犬飼多吉を三國連太郎が演じて、まさにはまり役でありました。
大悪党でありながら、不可思議な魅力のある陰影のある男です。

悪運強く、青森県むつ市の海岸に流れ着いた犬飼は金を所持したまま、その街の曖昧宿に泊まるのです。

そこで出会った娼婦が杉戸八重(映画では左幸子が演じます。情の深いお人好しの女を演じてこれもピッタリです)
不幸な生い立ちの彼女は同じような生い立ちのこの男に深く同情します。
お互いに全てを曝け出した訳ではないのに心が通じ合うものを感じたのです。

一夜を共にして、早朝男は飄然と立ち去ります。後には八重が娼家から足抜けできる大金が残されてます。夢のような気持ちでいる八重の下に不粋な刑事が現れるのです。
そこで八重は犬飼が犯罪者である事を知ったのですが、「そんな男は知らない」と嘘の証言をするのです。

仕事熱心ですが人情に篤い刑事は八重の人柄を信じてその場を立ち去ります。
(映画では伴淳三郎が熱演してます)

その後八重は貰った金で娼婦から抜け出し上京しますが、何の教養も無い為再び水商売の道に入って一人の暮らしを続けるのでした。
彼女の胸には自分を救った唯一の人として、犬飼多吉の面影が深く刻まれています。

そして10年の月日が流れ、、。
八重は新聞の社会面で別人にように出世した犬飼多吉の顔写真を見つけました。

名前も変え、身分も違いますが、八重の記憶の中の犬飼そのものなのです。
八重はただ懐かしいあまり、その人かどうか確かめたくて、舞鶴で事業を営む犬飼の自宅迄汽車を乗り継いでやってきたのでした。

そこには残酷すぎる運命が待っています。

戦後間もない貧しい日本は無法地帯と言ってもよく、犯罪の温床になっていました。
漸く復興した時、絶対過去を知られたくない人はかなりの数いたに違いません。

犬飼もその一人です。家庭も仕事も満足出来る状況にあった彼は、人の良いだけの八重が疫病神に見えた事でしょう。自分の過去をこの女が喋れば破滅である、なればこの女に死んでもらわねばならぬ。


さて、この犬飼の当然の心理を八重は予測出来ないバカな女だったのでしょうか?
そんなに犬飼を恋慕っていたのでしょうか?
私にはそうは思えません。

「恩義」「人情」というものの価値が当時非常に高いものがあったのですね。
「堕ちる一方の自分を救ってくれた人の顔を一目見たい」
多分その感情で八重は動かされたのだと思います。
他に家族もいない頼る人もいない八重にとって犬飼は神に近い存在だったのかも知れません。
恩人が出世した素直な喜びでいっぱいだったと思えます。

昭和のまだ若い時代はこんなバカがいた時代でもあったと思います。

読んでいただき心から感謝いたします。

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