現在、韓国では尹錫悦(ユン・ソギョル)検事総長と秋美愛(チュ・ミエ)法務部長官との対立が問題となり日本でも連日報道されているのは皆さんご存じのことと思います。
文在寅(ムン・ジェイン)大統領から期待をもって指名された尹総長ですが、その期待に反して「正義」のために大ナタを振るい始めたことが大きな問題になっています。
自分の言うことを聞くだろうという期待で尹総長を指名した文大統領ですが、期待に反して真っ向から自分に反抗を始められて困っているという状況です。
秋長官には、尹総長を直接解任する権限がないため、実質的に活動ができないようにする作戦に出ているようです。文大統領にしてみれば、自分には解任の権限があるものの、今更自分の手で首切りをすると、さすがに世間の非難を浴びるうえに体裁もわるいので、その役目を秋長官にゆだねたというわけです。
今現在、韓国で起こっているこの事態を見て、既視感を抱いている人は意外とたくさんいるのではないでしょうか。そうです、まるで韓国時代劇の中で描かれている権力争いのシーンを見ているようなのです。
李氏王朝のなかで、どの時代でも政権の中で主導権を握ろうとした権力争いは絶えませんでした。利用価値のある人物とみるやいなや、最初は自分の側に引き込もうと懐柔策に出るのですが、それを拒絶されたり反抗されると、手のひらを返したようにその人物を葬り去ろうとするのです。
政治的野心をもった人物ならそのような政争に巻き込まれることはむしろチャンスととらえて立ち向かっていくと思うのですが、政治的関心のない人物の場合は、この上もない迷惑です。
いろいろなドラマの中で、望まないのに政争に巻き込まれて権力者に逆らい、葬り去られてしまう人物が描かれていますが、望む望まないとにかかわらず組織の中での自分の政治的な立場をはっきりさせておくことが、世渡りのテクニックなのかもしれません。
人はそれぞれの正義を持っています。そして、自分の正義を実現するために行動します。そうして、無数の正義が己の正しさの証しを建てようとするのがこの世界での人間の活動なのです。
それぞれの「正義」という言葉が具体的に指しているものは皆違っているにもかかわらず、われわれが「正義」という言葉を共有して使用することができるという事態がどういうことなのかを考えてみるのも、興味深いことなのではないでしょうか。
文在寅(ムン・ジェイン)大統領から期待をもって指名された尹総長ですが、その期待に反して「正義」のために大ナタを振るい始めたことが大きな問題になっています。
自分の言うことを聞くだろうという期待で尹総長を指名した文大統領ですが、期待に反して真っ向から自分に反抗を始められて困っているという状況です。
秋長官には、尹総長を直接解任する権限がないため、実質的に活動ができないようにする作戦に出ているようです。文大統領にしてみれば、自分には解任の権限があるものの、今更自分の手で首切りをすると、さすがに世間の非難を浴びるうえに体裁もわるいので、その役目を秋長官にゆだねたというわけです。
今現在、韓国で起こっているこの事態を見て、既視感を抱いている人は意外とたくさんいるのではないでしょうか。そうです、まるで韓国時代劇の中で描かれている権力争いのシーンを見ているようなのです。
李氏王朝のなかで、どの時代でも政権の中で主導権を握ろうとした権力争いは絶えませんでした。利用価値のある人物とみるやいなや、最初は自分の側に引き込もうと懐柔策に出るのですが、それを拒絶されたり反抗されると、手のひらを返したようにその人物を葬り去ろうとするのです。
政治的野心をもった人物ならそのような政争に巻き込まれることはむしろチャンスととらえて立ち向かっていくと思うのですが、政治的関心のない人物の場合は、この上もない迷惑です。
いろいろなドラマの中で、望まないのに政争に巻き込まれて権力者に逆らい、葬り去られてしまう人物が描かれていますが、望む望まないとにかかわらず組織の中での自分の政治的な立場をはっきりさせておくことが、世渡りのテクニックなのかもしれません。
人はそれぞれの正義を持っています。そして、自分の正義を実現するために行動します。そうして、無数の正義が己の正しさの証しを建てようとするのがこの世界での人間の活動なのです。
それぞれの「正義」という言葉が具体的に指しているものは皆違っているにもかかわらず、われわれが「正義」という言葉を共有して使用することができるという事態がどういうことなのかを考えてみるのも、興味深いことなのではないでしょうか。