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政治腐敗について~なぜこんなことになってしまったのか?

2020-12-30 15:32:39 | エッセイ
 ネット上の記事をいろいろみるにつけ、今年のコロナウイルス流行の中であぶりだされた政治の問題を取り上げる記事が目立つような気がします。

 端的にいえば、なぜここまで政治が腐敗してしまったかです。政府は自分たちの支持者や自身の利権につながることがらには景気よく予算をつけて国庫からの支出をいとわない半面、本当に困っている、困窮者の方をまったくむかず、自助、自己責任という言葉でそれらの人々を助けることもせずに放置している。

 いったい、こんな血も涙もない世の中になぜなってしまったのか?私自身も反省すべきは、政治に対して関心を持ってこなかったことが一番の問題だと思っています。

 もちろん、日々の仕事、暮らしが忙しく政治的なことがらに関心を持ったり、時間を割くことが難しいということも理解できますが、それではいけなかったということです。

 政治に対する無関心がこんな事態を招いてしまった原因のひとつなのです。生活困窮者を人生の負け組、敗残者などと呼びそれがいかにも自己責任でそうなってしまったかのような風潮がここ20年くらいで当たり前になってしまったような気がします。

 しかし、人はいろいろな事情を抱えて生きています。また、それぞれの人の持てる能力も千差万別です。そんな状況の中でそれぞれの人が一生懸命に生きた結果がうまくいかなかったからと言って、それを100%その人の自己責任だから自分で何とかしろというのはあまりにも酷な話であり、それでは何のためにこの国の社会制度が存在するのかということになってしまいます。

 私がまだ若い頃までは、社会的な弱者に対する思いやりが社会の中にたくさん感じられた気がします。いつのころからか、何でもかんでも自己責任なのだから助けてやるもんか、自分でなんとかしろ!ということになってしまったのでしょうか。

 冒頭にも述べましたが、政治家は自分の利権や後援者のためなら「兆」の単位の予算をすぐさまつけるのに(GoToキャンペーンに1兆円の追加!!!)、数十億、数百億単位の社会的弱者に対する支出を削ろうとする、本当に誰の側をみて仕事をしているのか理解できません。

 たしかにここで私がいくら文句を垂れようとこの声が為政者に届くとは思えませんが、でもせめて自分の気持ちをこういう形で表現しないと本当にやりきれなくなります。

 まだまだコロナウイルスとの付き合いは続きます。こんなストレスだらけの社会情勢の中、人間らしく生きていきたい、ただそれだけのことを望むのは贅沢なことなのでしょうか?

 来年が少しでもいい年になるように心から祈りながら、年を越せればと思います。


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