韓国ドラマは哲学的感性を刺激する

韓国ドラマ、IT・デジタルなこと、AIなどと並んで哲学に関する事柄や、よろずこの世界の出来事について書き綴ります

恥を知るということ

2020-12-07 16:41:01 | エッセイ
 今日のネット記事で、「慰安婦ゲーム」なるものがあるということを知りました。慰安婦問題をゲームに仕立て上げたもので、正直言ってその出来具合はお世辞にもいいとは言えず、韓国の人たちからみても恥ずかしいレベルのものだということです。

 そして、このゲームの製作費の一部に韓国の税金が使われていたそうです。そのうえ、このゲームを作った会社の社長が言うには、「日本人が謝罪をしないのは、正しい歴史を知らないからだ」ということで、それをこのゲームを通じて知らしめるというらしいです。

 このような記事を読まされて、あほらしくて開いた口がふさがらないというのが大方の日本人の感想だと思います。歴史を知らないのは、そちらの方で、学校でうその歴史を教え込まれてしまっているので、どこまでいっても日本人と話が合うはずもありません。

 そして一番の問題は、「反日」が完全にビジネスになっていることです。慰安婦問題で日本から金を搾り取れるだけ、搾り取ろうという魂胆なので、この30年間この問題が解決しないように妨害工作を行い続けてきたというのが本当のところでしょう。

 このようなことをする人たちに向かって「恥を知れ」と言ってやりたい気持ちになるのは、ごく自然なことではないでしょうか。しかし、このようなことをする人たちは決して自分たちが悪いとは思わないので、自分たちの恥を知りようもないというのがなんとも悲しい事実です。

 他人の不幸を利用し、それを金儲けの手段に使い、そのことを指摘されても自分たちの何が悪いのか理解できない。こういうメンタリティについて、私には決して理解できないのですが、韓国ドラマをみていると現代劇、時代劇を問わずこのような人物たちが登場します。

 最初見たときはこれはあくまでドラマの世界だということで理解していたのですが、最近の韓国政府あるいは韓国の反日を生業としている人たちの行動、言動がまさにドラマで見ていること、そのことにぴったりあてはまることに気が付きました。

 自分のことを棚に上げて、他人の過ちを責め立てるのを「ナロナムブル」というらしいですが、韓国政府や、反日勢力の人たちの行動原理はまさにこのようなダブルスタンダードによって成立しているわけです。

 隣人だからと言って何が何でも仲良くしなければならないというのは、間違っていると思います。かといって、全く縁を切ってしまうわけにもいかないので、なんとか現実的なおとしどころを見出さないといけないのが、これからの韓国との付き合い方なのでしょうか。

 日本人の中にも、強烈な反韓感情を持つ人たちが少なからずいますが、そのような人たちからみると私のような考え方は生ぬるいと言われるかもしれませんが、一気に極端な方向に走ることは実際には無理だということを、頭の片隅においてこれからも状況を見守っていくしかないのかと、思っています。


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