このブログで連日取り上げている構造計算書偽造事件ですが、この報道をみていて感じたことがあります。
一つは、こういう事件では当然のように行われる責任のなすり合い。当事者としては、当然でしょうが責任の所在をできるだけ自分から遠ざけようとどの関係者も懸命です。
もうひとつは、倫理観の欠如。これは、上記と関連しますが自分からいさぎよく非を認めるようなことをしてしまうと、責任が重くなってしまうという自衛本能がはたらくのでしょう、それを第三者としてみていると倫理観というものが感じられない状態になります。
倫理というものは、自分がそうしたいからそうするという自発的な気持ちなので、今回のような大きな賠償責任が絡んだ事件で、関係者に対して最初から倫理的な行動を期待する方が、無理というものでしょう。
情報セキュリティの事故・事件でも同じことが言えます。何か、セキュリティ上の事件を起こしてしまったら、もし、自分が当事者だったらできるだけ責任の所在を遠ざけて、なりふりかまわず自分は悪くないと言い張りたい気持ちになるはずです。
しかし、そのような態度や行動は長い目で見ればその当事者たちにとってマイナスになるだけで、きちんとした対応をすることで、事件で失った社会的な信用を少しでも取り戻すことができるのです。
万が一のため、普段からセキュリティ対策をほどこしてその時に備えておくのが、経営者あるいは組織の長の努めなのではないでしょうか。やるべき手順がわかっていて、自分がどう行動すればいいか理解していれば、うっかり失言をしてしまったり、世間から無責任な態度と思われるような行動をすることも防止できます。
セキュリティ意識というものは一朝一夕では育ちません。組織の中で、だんだんと醸成されていくものなのです。そのような状態に組織を持って行ければ、情報セキュリティ対策はうまくいったと言えると思います。
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一つは、こういう事件では当然のように行われる責任のなすり合い。当事者としては、当然でしょうが責任の所在をできるだけ自分から遠ざけようとどの関係者も懸命です。
もうひとつは、倫理観の欠如。これは、上記と関連しますが自分からいさぎよく非を認めるようなことをしてしまうと、責任が重くなってしまうという自衛本能がはたらくのでしょう、それを第三者としてみていると倫理観というものが感じられない状態になります。
倫理というものは、自分がそうしたいからそうするという自発的な気持ちなので、今回のような大きな賠償責任が絡んだ事件で、関係者に対して最初から倫理的な行動を期待する方が、無理というものでしょう。
情報セキュリティの事故・事件でも同じことが言えます。何か、セキュリティ上の事件を起こしてしまったら、もし、自分が当事者だったらできるだけ責任の所在を遠ざけて、なりふりかまわず自分は悪くないと言い張りたい気持ちになるはずです。
しかし、そのような態度や行動は長い目で見ればその当事者たちにとってマイナスになるだけで、きちんとした対応をすることで、事件で失った社会的な信用を少しでも取り戻すことができるのです。
万が一のため、普段からセキュリティ対策をほどこしてその時に備えておくのが、経営者あるいは組織の長の努めなのではないでしょうか。やるべき手順がわかっていて、自分がどう行動すればいいか理解していれば、うっかり失言をしてしまったり、世間から無責任な態度と思われるような行動をすることも防止できます。
セキュリティ意識というものは一朝一夕では育ちません。組織の中で、だんだんと醸成されていくものなのです。そのような状態に組織を持って行ければ、情報セキュリティ対策はうまくいったと言えると思います。
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