今年の3月に報道発表された、埋蔵文化財(遺跡)の発掘調査の結果が、14日に発表になりました。調査は、三重大学人文学部と亀山市教育委員会の共同で、8月21日から28日までと、9月4日から18日までの23日間で行われました。
今回の調査で、重圏文軒丸瓦(じゅうけんもんのきまるかわら)が出土しました。この瓦は、外縁の中に2つの同心円を配した文様を持ち、聖武天皇が造営した難波宮(なにわみや)で用いられた軒丸瓦と同系統の文様であることから、「鈴鹿関跡北西部城壁」が聖武天皇在位時期に築造されたものであると考えられるそうです。 聖武天皇は、天平12年(740年)10月29日から12月15日まで伊賀、伊勢、美濃、近江、山城国を巡幸しており、このうち11月14日から22日までを、鈴鹿郡の赤坂頓宮で滞在しており、鈴鹿関の築地塀も、このとき聖武天皇によって整備された可能性が高いと考えられているようです。 今から約1260年も昔にこの土地が栄えていて、それが今回初めて明らかになったなんて、嬉しいではありませんか....。
今回の調査で、重圏文軒丸瓦(じゅうけんもんのきまるかわら)が出土しました。この瓦は、外縁の中に2つの同心円を配した文様を持ち、聖武天皇が造営した難波宮(なにわみや)で用いられた軒丸瓦と同系統の文様であることから、「鈴鹿関跡北西部城壁」が聖武天皇在位時期に築造されたものであると考えられるそうです。 聖武天皇は、天平12年(740年)10月29日から12月15日まで伊賀、伊勢、美濃、近江、山城国を巡幸しており、このうち11月14日から22日までを、鈴鹿郡の赤坂頓宮で滞在しており、鈴鹿関の築地塀も、このとき聖武天皇によって整備された可能性が高いと考えられているようです。 今から約1260年も昔にこの土地が栄えていて、それが今回初めて明らかになったなんて、嬉しいではありませんか....。