頂上に着いた時は、喜びよりも、安堵感や疲労感の方が強かったです。
「出発が早かったから、頂上では1時間ぐらいゆっくりしても大丈夫だよ」
と言われましたが、もはや頂上を散策する元気もなく座り込んだまま、ぐったりしていました。ご飯も食べられないくらいに。
この時は、それでもまだ、
「来た道を帰るだけだし、下山するんだから、行きよりも時間は掛からないはず」
と鷹をくくっていた愚か者でした。
頂上での休憩を終えて、さて下山しようということになり、2人で山を下り始めました。ところが、間もなく左膝が痛み始め、慌ててサポーターを巻きます。
それを庇いながら歩き進めるうちに、今度は右膝も痛くなり、足の指や裏がつるようになり、鍛えられてない私の身体は、あっという間に悲鳴を上げ出しました。
下山ルートの半分も行かないところで、おばあちゃんがヨタヨタ歩くような状態の歩行になってしまいました。彼からは歩き方を教わり、その通りに動かしたいのですが、登るのも下りるのも激痛が走るようになってしまったのです。
登山上級者である彼が、"おばあちゃん"な上に無口になった私に合わせて歩くのは、しんどかったと思います。そして、何より楽しくなかったでしょう。
彼はずっと励ましてくれました。
でも、激痛の私には響いていなかったし、ゴールから僅か数百メートルという場面に至っては、ありとあらゆるモノを呪いながら、"おばあちゃん"は歩を進めることに集中していたので、馬の耳に念仏でした(すまぬ…)。
もう2度と山には登るまい!と思いながら終えた初登山でした。
「出発が早かったから、頂上では1時間ぐらいゆっくりしても大丈夫だよ」
と言われましたが、もはや頂上を散策する元気もなく座り込んだまま、ぐったりしていました。ご飯も食べられないくらいに。
この時は、それでもまだ、
「来た道を帰るだけだし、下山するんだから、行きよりも時間は掛からないはず」
と鷹をくくっていた愚か者でした。
頂上での休憩を終えて、さて下山しようということになり、2人で山を下り始めました。ところが、間もなく左膝が痛み始め、慌ててサポーターを巻きます。
それを庇いながら歩き進めるうちに、今度は右膝も痛くなり、足の指や裏がつるようになり、鍛えられてない私の身体は、あっという間に悲鳴を上げ出しました。
下山ルートの半分も行かないところで、おばあちゃんがヨタヨタ歩くような状態の歩行になってしまいました。彼からは歩き方を教わり、その通りに動かしたいのですが、登るのも下りるのも激痛が走るようになってしまったのです。
登山上級者である彼が、"おばあちゃん"な上に無口になった私に合わせて歩くのは、しんどかったと思います。そして、何より楽しくなかったでしょう。
彼はずっと励ましてくれました。
でも、激痛の私には響いていなかったし、ゴールから僅か数百メートルという場面に至っては、ありとあらゆるモノを呪いながら、"おばあちゃん"は歩を進めることに集中していたので、馬の耳に念仏でした(すまぬ…)。
もう2度と山には登るまい!と思いながら終えた初登山でした。