N党の立花党首がYouTubeで今回の兵庫県百条委員会の内部情報を渡した維新の会の議員3名について自論を述べたらしい。
まあ、内部情報既得については謝罪をしたらしいが、公開させたことは「正義」だったと言う。
「政治は戦い」であり「弱いものは死んでも仕方がない」とも自論を述べた。
うーむ、この人っていつの時代の感覚なんだろうね?
昔は世を変える為に人を殺し殺されたワケだが、今は「令和の時代にいかに人が死ななくてもよいかを考えること」が政治家の役目ではないかな?
言いたい事はわかるけど、それこそ「時代錯誤」か「アニメやドラマの見過ぎ」なんじゃないかと感じるね。
昔は「人が死ぬ」のは美学であったが、今は「いかに死なないようにするか」が当たり前であり、それこそ他人から執拗に叩かれて自死したのなら「その原因は叩いた人て責任もある」ってことになるのではないだろうか?
ようするに「限度が大切」であり「弱い、強いは関係ない」ワケだ。
叩いた人も「ヒト」であり叩かれた人も「ヒト」だったのなら、やっぱり叩いた人は「ヒトでなし」となりはしないかな?
いつまでも昔のやり方で世の中を考えていたら、周りの人たちはどんどん死んでいくだろう。
最後にもう一度言うが「今はいかにヒトが死なないようにするか?」が本当の「正義」だとオジサンは思うね。
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