bon voyage!

ボディボーダー・ママののんびりオーストラリアライフ

☆Che Guevara☆

2005-03-01 | Weblog
彼を初めて知ったのは、ニカラグアの露店に
吊るされたTシャツを見た時。
黒いTシャツに、彼の顔が大きく
浮かび上がるように白で描かれていた。
その時の印象は、「この人、誰?ボブ・マーリー?」 
としか思わなかった。

その数日後、インターネットカフェで知り合ったアメリカ人のカップルに、
ホームパーティに誘われた。彼らの自宅とは、”Taquetzal Trekkers"という
ボランティア団体の本部。ニカラグアのストリート・チルドレンを教育し、
援助するNGO団体だ。彼らは観光客相手に、日帰り、もしくは一泊の
火山のトレッキングツアーを行っていて、その売り上げをすべて子供たちの
援助に役立てている。
当時そのメンバーは7人。みんなヨーロッパやアメリカからのバックパッカーで、
数ヶ月で国に帰ってしまう人もいれば何年もそこにいる人もいる。

もっとも長くいるメンバーだというオランダ人の男の子は、チェ・ゲバラのTシャツを着ていた。
年齢は20代半ばで、伸び放題のヒゲと後ろで束ねた長~い黒髪と力強い眼。
彼はこの団体の創始者だった。オージーの彼女と一緒にここで暮らしているという。
最初は怖くて目を合わせれなかったけど、翌々話してみると
とても落ち着いていて知的で、なんだかとても強い意志を感じた。
そして、妙にチェのTシャツが似合っていたのだ。
まるで彼のためにそのTシャツが作られたのではないか、と思うほどだった。
私が“そのTシャツかっこいいね!”というと、”だろ?チェは最高だよね!”
と誇らしげに笑った。その時私は、“やばい、チェは相当有名な人なんだろうなぁ…
まさかここで“チェって何した人?!”とは聞けない…”という変なプライドが
邪魔をし、チェの正体を聞くことができなかった。
それ以来、私はずっとチェが気になって仕方なかった。しかし友達に聞いても、
“キューバの革命家でしょ”とか“共産主義の人だよね”とか、曖昧な答えしか
得れなかった。
みんな何となくは知っているけど、具体的に何をした人なのかは分からないようだった。

日本に帰国後、偶然本屋で“チェ・ゲバラの遥かな旅”という本が目に飛び込んできた。
もともと“旅”というキーワードに敏感な私。“チェ・ゲバラ”と組み合わさっていたのを
みて、迷わず購入。あまりの面白さに、2日間で読み終えた。
私は昔から政治関係にはまったく興味がなかったのだが、チェを通して、
資本主義や共産主義の仕組みや、日本など先進国が及ぼす発展途上国への影響など、
一気に新たな世界の扉が開いた。

チェは今となっては偉大な革命家であるけれど、20代の頃は、アルゼンチンの
中流階級に暮らし医者を志す、ごく普通の男の子だった。しかしある時から、
生ぬるい環境に嫌気が差し、友人と共に南米大陸をボロバイクで巡る長旅に出た。
(映画“モーターサイクル・ダイアリーズ”は、これをもとにしている)
この旅を通して、チェは南米の原住民への差別と貧困の現状、アメリカの資本主義が
南米に及ぼす貧富の差と政府の腐敗を目の当たりにし、深い憤りを感じる。しかし、
怒ったところで、所詮彼は通り過がりの旅人だ。原住民たちの真の苦しみを共感することは
到底できない。彼には、いざとなったら帰れる安全な家と、待っててくれる暖かい家族が
いるのだ。それを全て捨て切ってまで闘う決心がなかなか付かなかった。

でも同時に、チェは何かに全身全霊で打ち込み、命を掛けて闘うものが欲しい、
という凄まじいエネルギーを抱えていた。そして、フィデル・カストロとの運命的な
出会いをきっかけに、彼と共にキューバ革命に身を投じ、その後も単身で中南米、
アフリカ、そして南米各国の民族独立運動を率いる、反資本主義の象徴となる。

妻子を南米に残し、キューバに旅立とうとしている息子を必死で止めようとする
母親に対し、チェは手紙で以下のことを書いた。
「…僕が自分の思想を軟化させ、利己主義的になれば云々、というあなたのアドバイスは、
人間として最も嫌悪すべきものです。軟弱な利己主義=低俗で臆病な個人主義的な
考え方を自分の中から駆逐するために、僕は僕なりに闘ってきたのです。
誤った自意識によって自己中心的志向しかできないボヘミアン的な要素を自分の中から
叩き出すために、僕は必死で闘ってきたのです…」

超資本主義国である日本に暮らしてて思うのが、いかにすべてが「お金」中心で
動いているかということ。自分の身を守るために貯蓄をし、生活をより快適にするために
消費をする。そのために、他の国は資源を剥奪され貧困に苦しむということに、
気付いてはいても、そのサイクルを止めることができない。常に動き続けなければ、
あっという間に経済大国は崩れてしまうからだ。
ボヘミアンからは程遠いと思っていた日本やアメリカという国だが、利己主義的さから
考えると、実はとてもボヘミアン的なのではないかと思った。

チェはかつて、キューバ政府の代表として日本を訪れている。戦後、ゼロの状態から
立派に経済を築いた、キューバ同様の島国として、参考にさせてほしいという願いを
込めての来日だった。チェは日本の工業に興味を持ち、自動車や電気工場などを視察した。
そういう風にいろいろな国の優れた所を選び、活かすことで、完全な共産主義でもなく
完全な資本主義でもない、その中間となる理想国家を目指したのだ。

チェの生き方を少し知った今となって、あのTシャツがなぜあのオランダ人に
似合っていたのかが改めて納得できた。
彼はチェと同様、自分の故郷を離れ、まったく違う国で、国民を助ける活動に身を
投じている。自分にとっては何の利益もない仕事で、いわば何の関係のない人たちを
援助している。これこそチェのいう、反利己主義的な生き方なのだろう。自分の国、
自分の家族、自分のことだけを考えるのではなく、地球全体の規模で考えること。
みんなそんな生き方ができたら、きっとこの地球は平和になるのだろう。


抜粋:集英社:土井十月薯「チェ・ゲバラの遥かな旅」



2 コメント

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感想 (masa)
2006-02-18 14:11:59
僕今このtシャツ着ています

でもだれのかおか

わからなかった ネットサーフィンしたら

なんとなく見つけた

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ゲバラ (加藤和彦)
2005-03-01 21:08:21
恵比寿ガーデンシネマで上映中(もう終わってしまうかも知れません・・・)の「モーターサイクル・ダイアリーズ」を観てきました。

アルゼンチン出身のエルネスト・ゲバラ(チェ・ゲバラ)が、どうしてキューバ革命に参加したのかが、いまいち分からなかったのですが、少しだけ分かった気がしました。



多分、ゲバラには、“国境”という考えがなかったのです。

あったのは、南米に侵略してくる欧米への怒りと、貧しいものと富めるものとを差別する社会への疑問。



ハンセン病患者や、欧米人に翻弄されるインカの先住民たちを目の前にして、医者志望であったゲバラはどんなに悩んだことでしょう。

それを想像すると、ぼくも、もっといろんな所へ行って、いろんな境遇・いろんな考えの人と接しなければと思うのです。そうしないといつのまにか、今の日本の価値観でしか世界を見れなくなってしまうような気がするのです。



いや~、やっぱり、旅はたくさんしなくっちゃ。

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