The Society of Alternative Medicine from 1987/代替医療学会

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サルヴァトーレ・ヤコネッシ: がん治療をオープンソースで公募したら・・・

2015-09-18 13:04:43 | がん

脳腫瘍と診断されたサルヴァトーレ・ヤコネッシは受け身な患者―彼自身の定義では「待つだけの人」―でいることを拒否。脳スキャン画像をハッキングして手に入れ、インターネットで公開し、世界中あらゆる場所から治療法を公募したところ、医療アドバイスからアート、音楽、心理的サポートまで、何と50万人を超える人々の協力が寄せられたのでした。


これは かつての私の脳腫瘍です いい感じでしょう? (笑) いい感じっていうのは 「かつて」の部分がですよ いやー危なかった! (拍手) 脳にがんが見つかったとき ご想像のとおり 非常にショックでした がんのことは何も知りませんでした 西洋文化の風潮として がんが見つかった患者は ある意味本人がいないかのような 扱いをされ始めます 複雑な人間としての自分自身は消え 医療データが全てになります スキャン画像、検査、分析結果 処方薬などに埋もれてしまうのです 周りの皆の態度も変わります 突然 人というより病気そのものとして 接し始めます 医者はあなたにはわからない 専門用語で喋り出し あちこち指さし始めます あなたの体やスキャン画像など 様々です 家族友人も変わり始めます 病気のことばかりに気が行き 人としてのあなたを 忘れてしまいます 出会いがしらに 「先生は何て言ったの?」 挨拶もなしに こんな感じになります その間 本人は 誰も答えられない疑問に さいなまれます 「~はできるのか?」という疑問です 「がんでも働いていいのか?」 「勉強は?」「セックスは?」 「新しいことを考えてもいいのか?」 「こんな目に遭うなんて 私が何をしたというのか?」 「生活習慣を変えても いいのだろうか?」 「何かできることはないだろうか? 他に選択肢は?」 こういった疑問ですね そして当然 このシナリオ下では 医者は患者の味方です 医療のプロであり 一生懸命 あなたを治そうとしているのですから しかし同時に医者は非常に沢山の 患者に接してきたため 慣れが生じ 一個人としての患者にとって 病院通いは苦痛であることを忘れてしまい 「patient(患者)」は 「辛抱強い」という意味の通り 「待ち続ける人」 になってしまいます (笑) 状況は変わりつつありますが 従来の慣わしでは 患者は治療に一切関与せず 現状も知らされず 家族友人も関わらせてもらえず 治療の過程で起こりうる リスクを最小化するための 生活習慣の変え方を 教えてもらえたりもしません では何をするかというと ひたすら待つしかない 高度な専門家だけど赤の他人からなるチームに 運命を握られているわけです 私の時は 病院で自分のがんの画像を 印刷してもらい がんに話しかけました― 手に入れるのは大変でしたよ 患者は普通 がんの写真が欲しいなど 言ったりしませんから― 私はがんに語りかけました 「がんよ 君だけが私のすべてではない 私という人間はもっと複雑なんだ 治療法が何であっても 人間としての私全体を見るべきだ」 というわけで翌日 医者の薦めを無視して退院しました 私自身とがんとの関わりを 変えてやる また このがんについて もっと調べたうえでないと 手術のような大掛かりな治療は 受けないぞと心に決めていました 私はアーティストです 仕事の一環で オープンソース技術や 一般公開情報などを 組み合わせて利用しています 私が考えた最善のがん対策は 全てを公開し さらけ出し 誰もがその情報を手に入れ 利用できるようにすることでした 『La Cura』という ウェブサイトを作り そこに自分の医療データを オンライン掲載しました 実はハッキングで手に入れたデータです まあその件については別の講演で お話しするとして (笑) 「La Cura」という言葉を選んだのは― イタリア語で「治療法」 という意味ですが― 「治療法」という言葉の意味は 文化によって変わるものだからです 西洋では 病気を駆逐したり 患部を回復させるという意味ですが 他の文化では 例えばアジアのある地域や 地中海地域、ラテン系の国や アフリカなどでは もっと沢山の意味を持っていたりします もちろん 医者の意見は 聞くつもりでしたよ 医療機関などにもね しかし他にも アーティストや詩人や デザイナーが提案する治療法や ミュージシャンなんかの意見も 参考にしたかったのです 他人との交流を通じた治し方 心理療法的なものだったり スピリチュアルだったり 情意面でのアプローチなど あらゆる形での治療法を 募集したのです それでどうなったかというと かなりうまくいきました 『La Cura』ウェブサイトは あっという間に広がり イタリア国内や海外の メディア各方面から注目され あっという間に50万人以上から 連絡がありました Eメール、ソーシャルネットワーク― ほとんどは私のがんの治療法に ついてでしたが もっと多かったのが 一個人全体として自分で自分を 治すためのアドバイスでした 何千ものビデオが送られてきました 画像、写真、 アートパフォーマンスなどが創られ 『La Cura』に届いたのです この写真のパフォーマンスは フランチェスカ・フィニによるものです パトリック・リヒティという アーティストは 私の腫瘍の3D彫刻を創り Thingiverseというサイトで 売りに出しました 私のがんを欲しい人は 買えるというわけです (笑) これって ある意味 いいことだと思いませんか 私たちはがんさえも 共有できるのです こういったやりとりが しばらく続きました 科学者に 東洋医学の専門家に 何人もの学者や医者達― 皆が助言をしようと 連絡してきてくれました たくさんの情報と協力の中 一つのチームが 出来上がったのです 脳外科医や 東洋医学の医師 がん専門医が何名か そして 何百人ものボランティア このチームとの間で 寄せられた情報について 話し合うことができました 非常に大事なことです そしてチーム皆で一緒に 私だけの治療戦略を立てました 様々な言語で書かれ 様々な文化に基づいたものです こうして出来上がった戦略は 世界中を股にかけ 人間の歴史数千年を 反映したものとなりました これは私にとって 本当にすごいことでした [手術] 続くMRIスキャンの結果 幸運にもがんはほとんど成長しておらず おかげで選ぶ時間が十分ありました 担当してもらいたい医師を選び 入院したい病院を選び この間 何千人もの人々が 支えてくれました 私をかわいそうだと思う人は 誰もいませんでした 誰もが 私がよくなるために 主体的に何かができると 思って動いてくれました そこが『La Cura』で 最も重要な面でした 結果はというと ご覧の通り 私はピンピンしてます (拍手) そして素晴らしい朗報があります 手術の後― 私のがんは非常にグレードの低い 神経膠腫でした がんの中でもいわば良性のもので あまり大きくなりません それから私の人生も生活習慣も すっかり変わりました 私がしたことをまとめると 手術を受けるほんの数分前までに至る 自分の関与の仕方を よく考えてデザインしたということです 手術はかなり大変でしたよ 脳に電極が幾つも複雑に 埋め込まれました 頭のこっち側からです 脳が司る機能マップを 作り上げるのが目的でした 手術の直前 私の脳の機能マップについて話して どういうリスクがあるのか 何か避けたいことがあるかどうか 医師と相談することができました 起こったら嫌なことは 当然ありますからね [情報の公開性] この情報の公開性こそが 『La Cura』の中核でした 何千人もの人が 自分の経験談を 共有してくれました 医師は 通常ならがんについての 意見を聞くことのないような人々と 対話する機会があったわけです このプロジェクトは 様々な言語間を絶えず行き来しながら 自然に成長を続けています ここは科学と感情が同居し 現代医学と伝統的医学それぞれの研究が 混ざり合う場所なのです [社会] 『La Cura』で最も重要視されたのが 一つ一つの要素全ての健全さが 全体の健全さを左右する社会 全員が深く関与し繋がりあう社会の 一部であるという実感を得ることでした このプロジェクトの集大成は オープンソースのがん治療法ですが こう感じてもいます 私個人に対する治療法が 皆への治療法にもなった と ありがとうございました (拍手)


http://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20150915-00002303-ted