ポロメ島の溶女たち
1872年頃 油彩、カンヴァス 127.0X88.3㎝
ラシャ卸売り、業の父と、帽子店経営の母との間に生まれたコローが、初めてあこがれの地イタリアの土を踏んだのは1825年。3年の滞在ののち帰国すると、ヴィル=ダヴレーやフォンテーヌブローの森を描き続けた。
コローは生涯に三度のイタリア旅行をしている。北イタリアのマジョーレ湖にあるボロメ島を初めて描いたのは、1875~70 . . . 本文を読む
南フランス、エクス=アン=プロヴァンスに生まれる。1861年パリに出て本格的な絵画の勉強をする。ピサロを通じて印象主義を学び、第1回と第3回の印象派展に出品。その後印象主義を離れ、南仏に腰を据えて、堅牢な構成の際立つ作品を描いた。自然の観察の中から幾何学的形態を読み取り、画面を構築していく方法はキュビスムなどに大きな影響を与えた。
坐る農夫
セザンヌには5点の≪カード遊びをする人たち≫とい . . . 本文を読む
(1877-1968)
フランス画家。1月26日オランダのデルフスハーベンに生まれる。1897年、早熱の画才を抱いてパリに出て、荷造リ運搬人、ペンキ職、似顔絵描き、風刺雑誌の挿絵画家として働く。この間、印象派、ロートレック、スタンランなど影響を受ける。またモンマルトルの芸術家の家バトー・ラボワール(洗濯船)に住み、ピカソと知る。1906年、フォービスムの運動に加わり、コントラストの強い厚塗り . . . 本文を読む
アルベール・マルケ(AlbertMarquet、1875年3月27日-1947年6月13日)はフォーヴイスム(野獣派)に分類される19世紀~20世紀のフランスの画家。
1875年、ボルドーに生まれる。1893年、パリの装飾美術学校に学び、続いてエコール・デ・ボザール(官立美術学校)でギュスターヴ・モローの指導を受ける。ここで同窓生のマテイス、ルオーらと知り合った。後にフォーヴィスム(野獣派) . . . 本文を読む
フランスの画家。キュビスム運動の一員としていわゆるダイナミック・キュビスムの開発に重要な役割を果たし、のちのには機械と人間とが調和する現代生活を描くユニークな画風で20世紀美術に独自なイメージを生み出した。ノルマンデイーのアルジャンタンに生まれる。カン建築を修業、1900年パリに出、やはり建築家、写真家のもとで生計をたてつつ、1903年兵役終了後パリ装飾美術学校に入学、同時にエコール・デ・ボザ . . . 本文を読む
フランスの女流画家。私生児としてパリに生まれる。1902年、磁器の絵付(えつけ)の講習に通い始め、その2年後には画家を志してアンベール画塾の門をたたいた。そこでアカデミックな写実の技法を学ぶとともに、ブラックの知遇を得る。07年、ラフイット街の画廊でピカソと知リ合い、彼を介して詩人アポリネールと運命的な出会いをする。アポリネールの波瀾(はらん)に富んだ恋愛関係は5年間 . . . 本文を読む
フランス北部、同国の心臓部であるイル・ド・フランス地方を潤し、首都パリを貫流するフランスの代表的河川。全長776キロメートルで、ロアール川に次ぐフランス第二の川である(ローヌ川は全長812キロメートル中290キロメートルがスイス領)。流域面積7万8650平方キロメートルは全国土約7分の1を占める。コート・ドール県のラングル高地の標高471メートル地点に発し、西北流してシャンパーニュ地方の南部を . . . 本文を読む
ミロ
(1893-1983)
スペインの画家で、シュルレアリスムを代表する芸術家。4月20日カタルーニャのバルセロナに時計貴金属商の子として生まれる。商人にしたかった両親の希望に反して絵画を好み、一時生地のラ・ロンハ美術学校に籍を置いたのち、1912年からガリ画塾(アカデミー)で学び、18年に同市の前衛的なダルマウ画 . . . 本文を読む
マリーアントワネットの宮廷画家であったエリザ-べート・ヴィジェ=ルブランがフランスから亡命した後の作品。
ウィ-ン新婚旅行に出かけた夫人をモデルに描いたもの。バッカスの信者であることを象徴する踊るポーズの女性には、当時流行していた古代風のイタリア民族衣装を着せている。背景にはヴェスヴィオス火山が見える。これは同行の家内のお気に入り。 . . . 本文を読む