(1896-1930)
洋画家。明治29年10月1日鳥取県に生まれる。倉吉中学校を卒業後、上京して葵橋(あおいばし)洋画研究所に入り、黒田清輝(せいき)の指導を受ける。1921年(大正10)東京美術学校西洋学科を卒業、帝展に出品し、翌年フランスへ留学した。クールベのレアリスムに傾倒し、また福本和夫(かずお)から唯物史観の感化を受けて、社会意織の強い独自の写実主義を目ざした。25年帰国して第6 . . . 本文を読む
(1856-1907)
明治の洋画家。安政3年6月21日、江戸・木挽町(こびきちょう)の佐倉藩邸内に生まれる。7歳のとき父を失い家督を継ぎ佐倉に帰る。1872年(明治5)ふたたび上京、1875年国沢新九郎の彰技堂で西洋画の初歩を学ぶ。翌年工部美術学校が開設されるや、来任したイタリアの画家フォンタネージについて本格的な西洋画の指導を受けた。その師が病のため帰国すると、後任の教師を不満とし、同窓の小 . . . 本文を読む
(1883-1964)
洋画家。神戸市生まれ。1909年(明治42)東京美術学校西洋画科を卒業し、12~15年(大正1~4)渡欧してフランスほかの各国を巡遊する。16年の文展で『夏の内海』、翌年は『氷すべり』が特選を重ね、文展無鑑査を経て帝展審査員となり、22年の帝展に代表作『下諏訪(しもすわ)のリンク』を出品した。35年(昭和10)の帝展改組を機として、以後いっさいの展覧会のに不出品。44年帝 . . . 本文を読む
(1881-1966)
洋画家。東京生まれ。1904年(明治37)東京美術学校西洋画科を卒業し、東京外国語学校、暁星校でフランス語を学び、05年パリに渡って初めラファエル・コランに、ついで国立美術学校に入りフェルナン・コルモンの指導を受ける。スペイン、イタリアに旅行のほか、サロンに出品。ベラスケス、とくにルノアールの強い感化を受け、明治末の日本に本格的な印象主義を反映した。10年帰国し、同年と翌 . . . 本文を読む
(1881-1933)
洋画家。埼玉県生まれ。1901年(明治34)画家を志して上京し、小山(こやま)正太郎の不同舎に学ぶ。06年東京美術学校西洋画科を卒業し、翌年山本鼎(かなえ)、石井柏亭(はくてい)らと美術雑誌『方寸』を創刊、この年第1回文展に出品する。また「パンの会」の創始に参加した。14年(大正3)から翌年にかけて渡欧してセザンヌの影響を受け、帰国後『城址(じょうし)』などを発表する。二 . . . 本文を読む
(1874-1936)
洋画家。岡山県生まれ。1891年(明治24)上京し、翌年小山(こやま)正太郎の不同舎に入る。1900~01年(明治33~34)渡欧し、パリ万国博覧会に出品して褒状を受け、帰国の翌年同志と太平洋画会を創立した。7年の第1回文展以後毎年審査員を務め、また同年の東京府勧業博覧会で一等賞を受けた。のち再渡欧(1911~14)し、近代的造形に作風を転じる。25年(大正14)帝国美術 . . . 本文を読む
(1883-1962)
洋画家。岡山生まれ。長兄は文学者正宗白鳥、次兄敦夫(あつお)は国文学者。1902年(明治35)上京し、寺崎広業(こうぎょう)の塾に通い日本画を学ぶが、やがて洋画に転じ、07年東京美術学校西洋画科を卒業する。在学中から青木繁(しげる)に傾倒し、青木グループの一員となる。09年第3回文展に『白壁』を出品。14年(大正3)渡仏し、マチスに会い感化を受ける。翌年二科展に出品を送っ . . . 本文を読む
(1882-1974)
洋画家、文筆家。横浜市に生まれる本名壬生馬(みぶま)。小説家の有島武郎(たけお)の弟里見(とん)の兄。1904年(明治37)東京外国語学校イタリア語科を卒業。すぐ藤島武二に洋画を学び、翌年渡欧してローマの国立美術学校、のちパリで学ぶほか各国を旅行する。10年帰国して『白樺(しらかば)』詩の創刊同人となり、セザンヌほか欧州新美術の紹介に努める。14年(大正3)同志と二科会 . . . 本文を読む
(1882-1958)
洋画家。本名満吉。東京生まれ。幼少から父鼎湖(ていこ)に日本画を習う。浅井忠(ちゅう)について油絵を始める一方、无声(むかい)かいの新日本画運動に加わり会員となる。1904年(明治37)東京美術学校洋画科に入学太平洋画会展に印象派風の『草上の小憩』を作品し、翌年中退。07年『方寸』誌を同志と創刊し、近代版画運動の先駆となり、さらに「パンの会」を創始する。明治末にヨーロッパ . . . 本文を読む
バルビゾン派の画家ドービニーは、ミレーと共にゴッホが最も尊敬した画家のひとりであった。オーヴェール=シュル=オワーズにやって来たゴッホは、そこにドービニーが生前住んだ家があるのを知り、その家と庭をテーマに大作を計画する。彼の意気込みは弟テオへのスケッチ入りの手紙からも窺えるが、ゴッホは結局この庭を都合4点の油彩にした。そのうちスイスの個人蔵の作品が、サイズ、構図とも本作品とほぼ同じものである。ゴッ . . . 本文を読む
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