昨日も父の病院通いと買い物の介助で、車を出して一日終わってしまいました。
通院(薬をもらう)、昼食をとる、あと買い物。
(昼食を重めにとったので夕食は抜き)
たったこれだけの用事だったのに、朝9時前に家を出て、帰って来たら夜の9時でした。
日常的な三つの用事を済ますだけで、12時間使ってしまう。
なんという非効率、と世の人からは思われてしまうでしょうね。
とくに、老人の世話を直接したことのない人からは。
でもどうしようもないんです。
だから、老人介護……というか福祉というもの全般が、ビジネスベースに乗りにくいんです。
ということは、何よりもまず「公助」が必要なんです。
そうでないと、介護される人と、現場で直接介護する人のどちらかに、あるいは両方にしわ寄せが来る。
「公」=政府行政としては、そこに手をつけるのが嫌だから、家族介護=自助で済まそうと企てるんですよね。
家庭の中の問題にして、社会で考えなくてもいいようにしたい、と考えている。
まあ、日本人には「社会」というものが存在することの実感がない人がほとんどみたいですけれど。
そして、みんながそれに抗えないように、家族愛、親孝行、の価値観よって人を縛り付けているんです。
介護を他人に任せるなんて、お父さんお母さんがかわいそう。
他人任せにするなんて、障害を持った人がかわいそう。
小さい子を保育園に預けるなんて、子どもがかわいそう。
かわいそう、かわいそう、かわいそう……
当事者以外の人々は「かわいそう」の言葉で介護者や保育者を追い詰める。
追い詰められる人も、その価値観をしっかりビルトインされているので…
十分にできないと、自分を責めるしかなくなる。
私もそう。「かわいそう」の声にプレッシャーや、罪の意識を感じたりするのをどうすることもできない。
そのもとになっている「通俗道徳」は、もう大衆の中に、深く深く根を張ってしまっているので…
どうしようもないんです。
お餅に生えたカビが、表面の色の付いたところ=胞子だけ削り取っても…
見えない菌糸が、お餅の芯のほうまでびっしりと張り巡らされているように。
教育や、本や講演や…そういったもので、後付けで、通俗道徳と違う価値観や考え方を啓蒙しようとしても…
結局はうまく行かない。
思想なんていうものは、通俗道徳の前には、結局敗れ去る運命なんです。
思想や信仰やイデオロギーを、通俗道徳とバインドさせて、両者の区別がつかないぐらい一体にして…
子どものころから、家庭と地域と学校とで、こぞって教え込めばまた別ですけれど。
戦前から今に至る日本の「愛国」教育とか「男女の役割分担」とか…
あるいはイスラム過激派の「聖戦」推進とか、北朝鮮の「主体思想」とかは、その例ですけれど。
しょうがないです。無力でまだ無垢な子どもが親を、保護してくれる大人を頼り、慕うのは当たり前で…
そうした人々、つまり親、親戚、近所の人、教師などのことを「好き」と思う気持ちも自然なことで…
それらの人々が口伝えに教えてくれた「通俗道徳」を否定するのは、好きな人を否定することに近いですから。
おとなになってから後付けされる、教育や啓蒙や宣伝やオルグなどで、完全に消し去ることは…
特定の条件を持った個人には可能かもしれませんが、マスの大衆全体を変えることは不可能だと、私は思います。
繰り返しますが、時間をかけて、国家、もしくは閉鎖された集団ぐるみで、子ども時代から洗脳すれば別ですが。
だから私のケースでも、母が半身不随で、しかも精神障害を持ち、その上に認知機能が衰えていても…
施設に入っていることを「かわいそうだ」という、親戚の声、義実家の声、父の嘆きを止めることはできない。
自宅介護などしたら、私の心身の健康が壊れてしまうことなど、部外者には理解できないですし。
しょせん他人ごとで、みんな傍観者で、自分が苦労するわけじゃないから。
「本当は『お嫁さん』が面倒を見ればいい」という通俗的な道徳に基づく「世間の目」だって感じますよ。
これを今読んでいる人にだって、ホンネではそう思っている人、少なからずいるんじゃないでしょうか。
『お嫁さん』を介護専従にして、代わりに私が仕事を探して、最低賃金程度の収入で生活を支えるのが…
不合理だとしても「それが世間では当たり前なんだから仕方ない」「男女の役割だから当然だ」…
「みんなそうやって苦労したり、我慢したりしているんだから、そうするべきだ」
ということなんですよね。親族を含めた「世間」の本音というのは。
それで生活が支えられないのなら、私に甲斐性が無いのがいけない、ということでしょう。
そして、生活保護を受けたら、それはそれで叩かれるのでしょう。世間に迷惑をかける存在として。
生活保護叩き、いま流行っていますからね。
日本人って、なんでこんなに弱者には冷たく、強者にはおもねる人たちなんでしょう。
そうやって互いに足を引っ張り合って、我慢くらべをして、結果みんなで不幸になるのが…
この国の民草に染みついた、拭いようのない基本精神、通俗道徳の本質なんです。
そして、為政者「お上」には、決して逆らわないという。
逆らうような気を起こさないように「市民社会」なんていうものの存在を、意識に上らせないようにする。
日本の外で何が起きているかについても、そういうものを意識するような情報はなるべくシャットアウト。
それが「お上」の戦略だし、それに逆らうことは危険思想だという考えも…
それこそカビの菌糸のように、人々の心の奥底にまで、びっしりはびこらせてある。
だから「声を上げる」ことをみんなが恐れ、というか忌み嫌い、「エライ人」に黙って従うことを選ぶんですよ。
やがてそれに物申すような「異分子」を排除し、弾圧し始める…
「お上」から命令されなくても、大衆が自発的にそうし始める…
そのフェーズに入るまで、あとどれぐらいの時間が残されているのでしょうか。
そういう時代が嫌な人も当然いるはずですが、そういう人はみんな、どうやって生き残るのでしょう。
いちばん確実に生き残る方法は、物理的に逃げることなのですが。
北朝鮮の脱北者や、シリア難民や、ロヒンギャの人たちや、リビアから地中海を渡るボートピープルなどなど。
ああいう物理的な逃げ方をしなくても「何かの形」で逃げる方法が、あればいいとは思うのですけれど……
悲観的過ぎる?
悲観などではないということ、皆さんどんなに遅くてもあと十年以内にはわかりますよ。予言します。
でもそうなったときには、私の予言など、みんな忘れているのでしょうけれど。
まただいぶ話が脱線しました。でも、私が本当に考えていることです。
本題は、昨日起きたことでした。
思わぬコミュニケーションの不足から、誤って父を転倒させてしまいました。
実はもう5日ほど前から、父の家の居間の天井に付いている照明が、点かなくなっています。
昨日、照明器具のカバーを開けて、中にどんな蛍光灯(たぶん蛍光灯)が入っているのか確認しようとしました。
踏み台になるものが無かったので、何気なく、テーブルの椅子がひとつ引いてあるのを動かしてそれに乗りました。
そして照明器具をいじっていたら…
突然「ドタン!」という音とともに、父の「アーッ!」という叫び声。
父があおむけに、フローリングの床に倒れていました。
その椅子は、父がいつも手帳を見るために腰かける椅子だったようで、それで引いてあって。
数メートル離れたところで手帳を探していた父が、見つけて、いつも通りにそれに腰かけようとしたのです。
いつも同じように引いてある椅子だから、まさかそこに無いと思わなかったのだそうで。
普通のおとななら、椅子がないことはわかるでしょうけれど…
頭がはっきりしていない上に白内障もかなり進んでいるので、確認せず、何気なくそこに腰かけようとしたようです。
高齢者にとって、転倒は何より怖いことです。骨折でもしたら、それで寝たきりになる。
しかも仰向けにひっくり返ったので、後頭部を打ったらしく、頭を押さえて顔をしかめています。
もう、全身から血の気が引きましたよ。
「この椅子使ってもいい?」
と、なぜひとこと声をかけなかったか。
車で何か所か連れて回って、それに思ったよりずっと時間がかかってしまって…
少しイライラしていたのか、やることを早く済ませて次のことに取り掛かりたい、と思っていたのか。
とにかく、致命的な失敗です。
声をかけると、意識はあって、しばらく動かさずに様子をみていたら…
起き上がるから助け起こしてくれと。
膝が悪いので、床や畳に腰を落としてしまうと、立ち上がれないばかりか、座ることもできなくなる父。
なのでもう畳敷きの和室では、食事することもできません。
正座どころか、あぐらも無理。
(昔はそんな風になる前にみんな亡くなっていたので、畳の生活で問題なかったのかも)
抱えると意外に重くて、しかも脚に力が入らない父を、助け起こして椅子に座らせるのは力仕事です。
(介護士に男性も必要なのは、男の方が力があるからでしょう)
腰かけてしばらくしたら、痛みも引いたようで、あちこち動かしてみても大丈夫のようでした。
とりあえず、骨折はしていない模様。
頭も大丈夫みたいだと。
とりあえずホッとしましたが、私の過ちですから、一生懸命謝りました。
最悪の事態にならなく、本当によかった。
今日になって、さきほど電話で様子を確認しましたが、全然大丈夫だと言っているので、大事ないかと。
父は、照明器具を取り換えるのに、まさか自分で高い所に上って、確認や作業をすると思わなかったそうです。
父の家では、照明の蛍光灯が切れた場合、電気屋を家に呼んで…
なんと照明器具ごと、新しいものに取り換えてもらっていたというのです。
「蛍光灯というのは、照明器具に『くっついている』ものだと思っていた」と父。
蛍光灯だけ取り換える、という発想自体がないため…
電気屋に注文して、新しい照明を持ってこさせるつもりだったんですね。
だから、まさか椅子の上に乗って、照明を調べるなんて思わなかったと。
蛍光灯の寿命が来るたびに、何万円もする照明器具を取り換えていたとは!
なんという無駄なこと!というか、常識はずれの浪費でしょう。
「自分の実家なのに、そんな実情も知らなかったのか?」と言われそうですが…
確かに、頻繁に照明器具が変わっているとは思っていましたが、まさかそういうことだったとは。
私が学生時代まで、両親と同居していた頃は、ちゃんと蛍光灯や白熱球を換えていたのに。
いつからそんな無駄をするようになっていたのか。
父は芸能関係の仕事をしていたせいか、どこか世の中の常識を知らないところがあって。
特にお金に関しては一切ノータッチで、母に任せきりだったのです。
その母は、いつのころからか、恐ろしいほどの浪費家になってしまっていて。
とにかく、物欲が強いというよりは「お金を使うこと」そのものに快感を感じる癖がついてしまったようで。
インテリアでも、革張りの立派なソファーセットを、全く痛んでも汚れてもいないのに買い換える。
旅行に行けば、その土地で一番高いホテルや旅館に泊まる。
普段食べるものも、食材は、たとえば卵やバターひとつとっても、デパ地下で、意味もなく一番高いやつを買う。
調度品も、なるべく高いものを買う。そして、その物にはすぐ飽きて、傷んでもいないのに捨ててしまう。
リサイクルに出すとか、骨董屋に売るとかではないのです。捨ててしまう。
物を捨てるのも、快感だったのかも。
見事な銀器など買うのですが、それそのものに愛着がないので、手入れをせず、すぐ真っ黒にしてしまって…
捨てたり、どこかにしまい込んでしまう。
洋服も、母が倒れて家にいなくなった後に調べたら、カシミヤなど施設では着れない高級品がわずかにある程度。
タンスの中はカラッカラでした。おそらく季節が終わるごとに、全部捨てていたのではないかと。
母は株にも凝っていましたが、証券会社の営業の、言うなりに投資していたようなので…
調べたら、おそろしい額を損していることでしょう。怖くて調べられないですけれど。
そういう有様で、私は小言を言うのですが聴く耳持たず、父はやりたいように任せていた、という状況。
照明器具も中の電球や蛍光灯が切れるたびに取り換えて、父もそれが普通と思い込んでいたのでしょう。
そういう母なんです。
そんな人に、お金の管理も家の管理も、すべて任せて来た父も愚かですが。
父自身も、お金に関しては「どんぶり勘定」な業界でずっとやって来たので、無頓着だったのでしょうね。
そうして考えると、この40年近くの間に母が蕩尽したお金は、有に数億円単位に上っていると思われます。
母があんな風でなかったなら、きっと私は、将来かなりの遺産を相続していたのでしょうね。笑
まあ、資本主義経済を「回す」ことには、ある意味貢献したのかもしれないです。
我が子に対しては、過干渉で支配的で、自分のストレスを晴らすためだけに暴力を振るった毒親。
そして、夫の財産は蕩尽。
他人に対しても、カッとなったときに口から出る罵詈雑言を止められないので、友達がいない。
若いころから明らかに人格障害で、晩年それが高じて、妄想と、異常に攻撃的になる精神の病を得て…
家族をさんざん悩ませ、振り回し、他人にも大変な迷惑をかけた母。
そんな人と父が、そもそもお見合いで結婚した理由は、最近聞いたのですが…
見た目ちょっときれいだったのと…
「東北生まれだから、純朴な人に違いないと思った」と。
父には妙な「北の地」への憧憬があり、特に東北人=純朴な善人、という固定観念があるのです。
(一方で関西については個人的な恨みでもあるのか、嫌いなようです)
なので、重要な決め手のひとつは、母が宮城県出身だったことのようで。
ステレオタイプな先入観に左右されて、ろくに人柄を見もせず…
(もっとも、お見合いと、それに続いて数回会っただけで、人柄などわかるわけないのですが)
(仲人さんの「顔を立てる」などというバイアスがない分、現代の、マッチングアプリの方がましだと思います)
結婚などしてしまう、父の迂闊さを恨みます。
ただ、どうもその前に(大叔父がこっそり教えてくれたところによると)父は大失恋をしたようなので…
お見合いは、やけくそだったのかもしれません。
人間、やけになっているときに、大きな決断をしてはいけないといいますが、本当です。
やけくその果てに、しかも馬鹿馬鹿しい先入観で、結婚なんてした父は、自業自得の部分が大きいと思いますが…
あの母の子として生まれ、育てられた私に関しては、親なんて選べない分、いい迷惑でした。
おかげで、本当に自分自身を愛することも、信じることもできず今に至り、歪んだ人間になってしまった。
母にされたことの、すべて逆張りの子育てをしたら、息子はそこそこまともなおとなになったので…
反面教師としては役立った。
それが唯一の収穫であり、母がした、他者への貢献だったかもしれません。
老いてしまった父の脳からは、倒れる前日まで悩まされた、母の「妄想」のことは消えてしまって…
「家族に会えず他人ばかりの中で暮らす、施設の生活はどんなに大変だろう」と繰り返します。
でもそれは、父自身の寂しい心情の投影なのであって…
せっかく面会を予約しても、謎に「面会なんて要らないから!キャンセルしなさい!」と電話して来たり…
「持って来てほしいものは電話で言うからすぐに持って来なさい。顔なんて出さなくていいわよ」といったり…
施設で撮った写真の中で、家ではついぞ見せたことのなかったような、柔らかな笑顔を見せている…
母の気持ちとはおそらく違います。
また父自身が、少し前までは「施設に入った方が安心だ」などと言っていたのに、最近は言わなくなり…
母のことを「かわいそうだ」とばかり言うのは、本人が死ぬまで家で暮らしたいからなのではないかと。
叔母や叔父など、親戚も、介護施設に入るということを、とても否定的に捉えているので…
もし父がそうなったら「親不孝者」と言われてしまうでしょう。
だから、これから私の負担はさらに重くなりますね、たぶん。
さらに父が衰えると、私には個人的な楽しみの時間などもなくなって、同居して父に奉仕するだけの生活になり…
私も心と体を病んで行って、父を見送るころには、何をする気力もない、抜け殻になっていることでしょう。
私の人生は、ここまでで終わりです。たぶん。
でも妻は経済的に自立しているし、息子に伝えることは、もう何もなさそうです。
世の中にも、私が貢献できることは、もはや何もないでしょう。
かくなる上は、いっそ親より先に死んでしまえば、すぐに親たちも逝く結果になるでしょうから…
わずかに残った父の遺産は、私を飛び越して、息子にそっくり渡せるでしょう。
母がさんざん無駄に使ったお金のうち、ほんの一部でも、そうして息子の研究のために使われたほうが有用です。
でも自死を選んだりしたら、きっと息子のショックが大きすぎますから、それはできない。
願わくは早く病を得るか、事故に遭うかして、この世からサヨナラしたいものです。
と書いているうちにまた母から電話があり、すぐに差し入れてほしいものがあるから、施設に来いと。
すぐに来てくれと言って聞かないので、ペッピーノさんで行って来ます。
今日は猛暑日で、一番暑い時間ですけれど、夕方になると…
「昼食と夕食の前は施設の人もあたしも、一番忙しい時間なんだから」と怒られるので…
午前中と夕方は、避けないといけないんですよ。今すぐ行きます。
顔は見せようとしないけれど、こうして用事は頻繁に、そして不定期に言いつけられる。
なんなんでしょうね、いったい。