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「なんかオレ達さ…短い間に、すごい駆け足で来ちゃったよな…」
「そうだな…」 「ここらで、少し休もうか…」
ザ・スミスが所属していた、ラフ・トレードとの契約をめぐる紛争で、アルバム『 The Queen Is Dead 』は、
発売が大幅に遅れ、また、メンバーは、バンドの多忙なスケジュールをこなさなければならず、イギリスのメディアは、
バンドのゴシップ記事を書き立てました…。
アメリカでの、レコード各社による契約争奪戦があったにもかかわらず、セールス的には、思ったほどの反響はなく、
バンドのメンバーは、燃えつきかけ、ストレスを抱えていたようです…。
ジョニー・マーは、後にNMEとのインタビューで、
「当時のことは『不調』という言葉では半分も言い表せない。僕はものすごく病気だった。ツアーが完全に終わるまでには
ちょっと…危険な状態だった。僕は自分を抑えられる以上の量の酒を飲んでいた」と語っています。
'87年には、アルバム『THE WORLD WON'T LISTEN』が発売されました。モリッシーはこのタイトル(「世界は聴かないだろう」)
について、「メジャーな音楽ファンから、ほとんど知られていないことへの不満を、表したものだ」と、言ったそうですが、
『THE WORLD WON'T LISTEN』は、皮肉なことに、アルバムチャートで2位を記録しました。
一見、バンドは好調なようでしたが、メンバーの考え方の違いが、表面化してきて、特に、モリッシーとジョニー・マーの
間の緊張が、高まっていたそうです。
こうしたことから、バンドは分裂の危機にさらされていたのです。'87年に、ついに、ジョニー・マーが、バンドを去ることが、
発表されました。
抜け殻となったバンドは、ジョニー・マーの代わりのギタリストの募集を、試みたようですが、
ザ・スミスの、最も重要な人物の1人である者の、代わりになれる者など、地球上どこを探しても、見つかるわけが
ありませんでした。
なぜなら、ザ・スミスは、ジョニー・マーであり、モリッシーでもあったからです。アンディや、マイクも、同じように。
メンバーの関係が悪化した原因について、ジョニー・マーが他のミュージシャンとの仕事を増やすのを、モリッシーが嫌がるように
なったことが、第一にあげられたようです。また、ジョニー・マーも、モリッシーの音楽的な柔軟性のなさに、いらだっていた
こともあるようです。
バンドが最後に揃ってセッションした、シングル『GIRLFRIEND IN A COMA』のB面の
『WORK IS A FOUR LETTER WORD』と『I KEEP MY HIDDEN』について、ジョニー・マーは「僕は『I KEEP MY HIDDEN』を書いたが、
『WORK IS A FOUR LETTER WORD』(シラ・ブラックのヒット曲のカヴァー)は嫌いだ。本当に我慢の限界だった。
僕は、シラ・ブラックの歌を演奏するために、グループを作ったんじゃない。」と、語っていたそうです…。
近年になって、当時を振り返ったモリッシーは、こう言ったそうです。
「素晴らしい旅は終わったんだ。僕は続けたかったが、彼(ジョニー・マー)は終わらせたかったんだ。」
読んでくれて、ありがとうです
それでは、また。。。
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