◎ 超訳ブッダの言葉より(ディスカバー)
財産を他人と自分の為に惜しみなく使う・・・
誰もいない荒地に綺麗な水が湧いていても、誰も飲みに来ないまま、やがては涸れて無くなる。
欲望まみれの人が、うっかりお金持ちに成ったら、ケチケチし過ぎるゆえに他人の為にもお金を使わないし、自分の為にすら出し惜しむ。
それらのお金は使われぬまま、その人が死んだ後にはやがて涸れて無くなる。
智慧(分別)ある全うな人なら、財産を自分の為にも他人の為にも惜しみなく使って愉快に過ごす。・・・相応部経田
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今の時代は厳しい。昨日、5千人に1人の割合でホームレスに成っているらしい事をテレビで知った。赤ちゃんも子供達もその中に含まれているのならば、実際の割合はもっと高くなる計算だ。
若者は将来に不安を感じ、子育て最中の大人達は家のローンと子育てと教育費を稼ぐ為に夫婦で必死である。子育てが終われば自分達の老後の心配が待っている。老後の渦中にいる者は、寝込んだ時の身の置き場と病気の治療費と葬儀や墓地の心配をし、子や孫の心配に余念が無い・・。
どの年代の立場に身を置いても不安は尽きない・・。だから、出来る事なら預金もしたいものだが、計画を立ても思う様にはならない時代である。
それでも懸命に日々頑張っていれば若者は体力と気力が有るし、お父さんお母さんは子供と家族の為にとパワーが湧いて協力をし生き抜いて行ける・・。気が付けば後ろを振り返ってみれば良くもここまで生きて来れたものだと関心をしてしまうだろう。
肝心なのはここからだ。人生の終盤を迎えると大きな差が生じてくる。富める者とそうで無い者の差が出てくる。
昔ならば、家族が同居し老いた者の面倒を道理的に倫理的にもみるのは当然だった・・。しかし、現代社会に置いては、そんな考えは何処かへ飛んで行ってしまった。社会が国が福祉が年老いた親を見るものだと勘違いをしている。一千万円のポルシェに乗り数千万円の年収が有りながら、平気で国に親の面倒を見させていた芸能人が居た。恥を知らない。恥で有る事すら気が付かない。
生活が厳しかろうが不安定だろうが関係が無い。安定したら・・・なんて言っている間に親は死んでしまう。
こんな薄情な時代だから、老後を迎えるに当たっては、それなりの覚悟と計画が必要だ。だからと言って過剰な財産を残す必要は無い。子や孫に残した所で何れ消えて無くなってしまうからだ。空しい限りである。
目覚めた時に、天から教えられた事の一つに、お金は水の流れの様なもので、流れの途中、川の縁の水溜り(ため池)に淀んで留まってる水も洪水が起きれば何れは綺麗に流される。やがて海に流れ蒸発し雲と成り雨と成り水と成りまた川と成り流れは繰り返される・・。お金も同じで溜まり過ぎると淀んで腐ってしまうと教えられた。
が、私の川(お金)の流れは、どうも日照り続きの様で一筋の流れも無い・・・ここらで雨乞いでもしなくては成らない様だが・・のんきに何とか生きている。
なので、今回の釈迦の説法は、私には、ほとんど関係が無いが、この説法に当たる例は限りなく見てきている。悲しく空しい限りである。
そんな実話を次にご紹介しましょう。気は重くなるかもしれませんが、肝心な事なので、心に留め置いて頂きたい。
つづく
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