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日本歴史紀行

現代語訳 徳川実紀 14  竹千代君の立ち小便


臨済寺 本堂
静岡市葵区 大岩本町

軍師、太原雪斎が住持を務める今川の菩提寺





竹千代君の立ち小便

天文二十年 (1551年)正月元旦、竹千代君は今川館へ招かれた。


館は今川の家臣でごった返した。
とくに下座は座る場に困る有り様で、竹千代を館へ伴った小姓は、居場所を探して回るも顔色を伺ってばかりであった。


小姓の様を見ていた竹千代君は、上座近くの縁側に進み出た。


~わ 若、そちらは…~

小姓が竹千代君を制止しようとすると、

~あれはどこの童だろう。~

上座近くに座していた家臣たちがざわめき始めた。

大人たちの年賀の挨拶に一人だけ場違いな童が現れたので、家臣たちの視線は竹千代君に集まった。


~三河の松平清康の孫じゃないのか?~
~そんなはずは あるまい~


家臣らの視線が竹千代君に向けられる中で、主君の今川義元が上座についた。

竹千代君は座中の家臣らに背を向け、縁先に立って陰嚢を丸出し、おもむろに立ち小便を始めた。


~おお…これは!~

~なんと剛毅な~

小便を放つ竹千代をよそに義元に気づいた家臣たちが深く平伏した。

~ほっ、これは臓物に毛の生えた童じゃのう~

義元が竹千代君を眺めながら言葉をかけた。

竹千代君は落ち着いて恥じる様子も見せずにいたが、義元の脇に控える僧の刺す様な視線をとらえながらも、小便を終えると縁先に座り平伏してみせた。

義元への年賀の挨拶を終えると、竹千代君は世話役として三河より呼び寄せられた祖母の源応尼ととも部屋に控えた。

部屋に義元の脇に控えていた僧が入って来る。

僧は今川家中で重きを為す軍師格の太原雪斎だった。

~先ほどは珍しげなものを見せていただきましたぞ~

平伏していた源応尼が、~お見苦しい限りです。~
と平伏したまま答えていた。


~そなたが竹千代君か~

~如何にも~

~尼殿、しばし竹千代君と話をさせてもらえぬか~

~かしこまりました~

源応尼は隣の間に下がり、雪斎が座して竹千代君と正面に向かい合った。





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