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日本歴史紀行

歴史紀行 地域版 31 富士製茶 赤煉瓦倉庫 〜静岡県〜



富士製茶 赤煉瓦倉庫

静岡県菊川市堀之内



コロナウイルスによって、人々の生活は大きく変わりましたが、立春から数え八十八日。

今年の八十八夜は本日5月2日です。





明治時代を迎え、職を無くした旧徳川幕府の幕臣らが生き残りをかけて始まった静岡から県の中西部を中心に広まったのが製茶産業です。


茶商の原崎源作が、茶の一大産地となった菊川付近で収穫される荒茶を輸出する方法を、1889年 明治22年に東海道本線の静岡県下全線の開業を期に計画し、父から継いだ会社、富士製茶の再生茶の工場と倉庫として、1891年 明治24年、堀之内駅前【現在のJR 菊川駅】に赤煉瓦倉庫群を次々と建設しました。


茶の再生作業は、収穫した生茶を炭火で熱した大釜に入れて約40分間混ぜ合わせる【火入れ】という作業を必要とし、この過酷な作業を年端の行かない若い女工らが請け負っていました。


中には倒れる女工も出る過酷な作業に心を痛めた源作は、原崎式という新たな再生茶機械を考案して広めるなど、女工の作業の負担軽減に努めました。


やがて源作は横浜にあった富士製茶本店を堀之内町【現在の菊川市】に移転するなどして堀之内町は、お茶の町として賑わい初めました。


やがて富士製茶は本店機能を輸出港の清水に近い静岡市に移管しますが、明治から昭和にかけて、原崎源作に続く茶商たちが堀之内の茶を買い付けに来るため、堀之内町は賑わい、旅館や遊郭まで作られました。


富士製茶の赤煉瓦倉庫は、時代の推移と共に徐々に姿を消し、跡地には菊川町【現在の菊川市】の商店街が作られ、現在、最後の赤煉瓦倉庫が菊川市堀之内に今も残っています。




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