駿府城
静岡県 静岡市 葵区 追手町 駿府城公園
駿府城廃城〜市民憩いの駿府城公園へ
駿府城廃城〜市民憩いの駿府城公園へ
1867年慶応3年10月14日、15代将軍 徳川慶喜は大政奉還を朝廷に奏上し、幕府は政権を返上して武家政権は終焉しました。
将軍家ではなくなった徳川家は、慶喜からわずか6歳の家達(いえさと)が16代宗家を継ぎ、駿府藩主となりました。
その後、廃藩置県により駿府(駿河府中)は静岡と改称され、家達は東京へ戻ることとなり、駿府城は廃城となりました。
やがて駿府城は陸軍省(陸軍)に払い下げとなり、櫓などは取り壊し、堀は埋められました。
太平洋戦争終結まで軍の管理下にあった城跡は
戦後、静岡市の管理となり、三ノ丸、二の丸の一部は埋め立てられ、北街道の整備、県庁の建設に利用されました。
さらに交通量の増加に伴い、城跡を埋め立てて道路、バスの停車帯の施設を予定しましたが、市民の反対により計画は中止、その後は駿府城公園として市民憩いの場としてよみがえります。
平成の世になり、櫓や御門、庭園などが整備され、現在は様々なイベントも催される公園に生まれ変わりました。
紅葉山庭園