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治承5年閏2月4日(1181年2月19日)
元太政大臣 平清盛 死去
平安時代後期、武家の身分ながら、天皇家、朝廷内の権力闘争を巧みに利用して昇殿の地位を獲て、保元、平治の2度の乱に勝利して権力を手中にし、平家一門の繁栄を築いた平清盛がこの日亡くなりました。
白河、鳥羽、崇徳、後白河と歴代天皇と渡り合い、やがて朝廷内の権力を掌握した清盛は太政大臣にまで上り詰め、この世の春を謳歌するも、権力者の驕りから生まれた 小さな綻びは、民と寺社勢力、それに同朋だった武家をも恨みの対象に平家、とりわけ一門への反発を生み、治承四年の夏には、かつて平治の乱の戦後処理で伊豆に流した源頼朝が平家打倒を掲げて挙兵、孫の維盛を派遣して討伐に向かうも富士川の戦いで大敗。
大和で僧兵鎮圧を任せた五男、重衡に至っては焼き討ちにより東大寺、興福寺といった寺院を灰燼に帰す有り様を招いて一層恨みを買うこととなりました。
年が明けた治承5年、清盛は熱病に倒れ、苦しみ悶えた閏2月4日、打倒平家の火が全国で燃え上がる最中に亡くなりました。