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小夜の中山 ~静岡県掛川市佐夜鹿~
小夜の中山は、東海道の金谷宿と日坂宿の間の峠道のことで、古くから、箱根峠や鈴鹿峠と共に、東海道の三大難所として知られ、また長い傾斜の続く約1里 (約4キロ)の道のりは、歌枕として古今集や勅選集などで歌われ、鎌倉時代初期に西行法師が詠み新古今和歌集に入れられました。
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「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」
この歌は、西行が源平合戦の折り、平 重衡の兵火により灰塵に帰した東大寺再建のために東国へ砂金勧進の旅路で読んだ歌碑などがあり、また、江戸時代の俳聖~松尾芭蕉も奥州に赴く過程で、
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【道のべの木槿(むくげ)は馬にはくはわけり】
~現釈~道端に咲いたムクゲの花が馬にパクリと食われてしまったよ~と野ざらし紀行で素朴な句を詠んでいます。
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1335年建武3年の中先代の乱では、北条時行と足利尊氏双方の軍が衝突し、同年8月12日(1335年9月7日)に小夜中山合戦を行ない、今川頼国により名越邦時が討ち取られ、頼国の手による邦時の墓、とされる鎧塚が今も残り、戦国時代にもしばしば合戦場となっています。
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また、1600年 慶長3年 関ヶ原の戦いとなる要因となった会津の上杉討伐のために、京都から江戸へ下向する徳川家康がこの峠を通った際、領主で掛川城主の山内一豊が家康を道中の久遠寺境内に茶室を作って饗応して関係を深め、一豊は戦後、小山評定での家康支持の表明の件もあり、合戦での働きよりも評価されて土佐一国を手にしました。
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1880年 明治13年には、小夜の中山を越えるルートではなく、北側の沢伝いを開削した峠を越える中山新道(現在の国道1号および静岡県道381号の旧金谷宿までの区間)が建設されました。当初は有料道路でしたが、東海道本線(菊川伝いに下って迂回する経路で建設された)の開通により利用者が減少したことなどから、1902年(明治35年)に静岡県に買い取られて無料化され、1905年(明治38年)に国道となり、1932年(昭和7年)に小夜の中山トンネルが建設されました。
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現在は車の通行は疎ら、歩く人もハイキングが主ですが、峠から眺める景色は時代が変わっても美しいままです。