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日本歴史紀行

北の覇者 松前藩 物語 3 武田の嫡子 出奔


松前城



戦国時代から江戸時代を通して蝦夷島(北海道)を支配することになる松前氏。


松前氏の始祖は言い伝えによると、若狭守護、武田氏の出であると伝わります。


蝦夷島には古くから土着しているアイヌ人がいました。


やがて本州から蝦夷島へ渡って来た本州の人々が南部地域に住み始めます。


彼らは互いに交易をして共存をはかるも、度々戦闘となり、殺し合うことも度々ありました。


室町時代の後期、この時代の足利将軍家の室町幕府は既に機能不全を起こし始めており、戦国時代の足音が聞こえ始める間際となっており、各国の守護大名が表向きは幕府に従う姿勢を示しつつも、独立国の王の様に振る舞い始めていました。


1451年、宝徳3年3月、若狭国(現在の福井県地方)の守護大名、武田信賢の嫡子〜信広が突如 出奔し、北へ向かいました。

この武田信広、守護大名の嫡子ながら、家督を継ぐ年頃になるも、父、信賢は家督を信広の弟、国信に譲ったことで家中での立場を無くした信広は身の危険すら覚えたことにより若狭を捨て、ごく僅かな供回りを従えての出奔でした。


4に続きます。



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