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石川啄木歌碑
北海道小樽市稲穂
〜子を負ひて雪の吹き入る停車場にわれ見送りし妻の届かな〜
岩手県生まれの漂泊の詩人、石川啄木は高過ぎる自尊心から周囲との軋轢を生み、職場は長続きせずに各地を流浪する生活を繰り返しました。
当時、小樽駅長だった義兄を頼り、北海道へ渡りましたが、呼び寄せた妻子との生活が始まった矢先に就職した小樽日報社も労働争議の末に短期間で辞め、小樽を去りました。
その時に見送る妻子を想い書いた詩です。
啄木は北海道で函館、札幌、小樽、釧路と4か所の就職、転居を繰り返した末に故郷の岩手、さらに東京へと上京し、詩人として寄稿生活を送りましたが、友人知人の金銭の援助なしに生活は成り立たない中、結核を患い26歳の生涯を閉じました。