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日本歴史紀行

歴史めぐり 街物語 7 ‐ 12 奈良県 奈良市 12

唐招提寺
日本仏教 戒律の師 鑑真和上 終焉の地







唐招提寺 鑑真和上 開山御廟

奈良県奈良市五条町 唐招提寺




奈良時代になり、日本に仏教かがもたらされて約200年の年月が流れました。


仏教の教えにおいて、守らなければならない掟が戒律です。

戒とは内面性の道徳規範のことで、悪事を働いたりしない、善行を行い、他者に尽くす。といったもので、律とは、 教団で守らなければならない内部の規則のようなものです。


仏教伝来後、遣隋使、遣唐使による断片的な教えは伝わっていたものの、日本では、僧侶達への戒律を授ける権威ある戒律師を招く気運が高まりました。


733年 天平5年、遣唐使船で唐へ渡った栄叡と普照の二人の僧は、日本へ優れた戒匠を連れてくることを朝廷から託され、唐の国内を探しまわりました。


この人こそ。という戒匠に巡り合えぬまま9年余りが過ぎた頃、栄叡と普照は、唐 楊州の大雲寺において、江南一の大師と称される鑑真和上に出逢います。


鑑真は、二人の僧から伝戒の師として、日本に来てもらいたいという熱意と重要性を理解し、日本へ渡る決意を固めます。


しかし、鑑真の渡海はことごとく失敗します。


最初の渡海は海賊と疑われて捕縛。


2度目と3度目は台風により船は進めずに断念。


4度目は鑑真を思慕する弟子達の妨害に遭い、5度目は遭難に遭いました。


ようやく鑑真が一部の弟子達と日本の土を踏んだのは、最初の渡海から12年が過ぎた754年 天平勝宝6年のことでした。


盲目の身となりながらも渡海を果たした鑑真を聖武天皇はじめ、多くの僧侶達が待ち望んでいたこともあり、鑑真は大歓待を受けます。


間も無く、創建したばかりの東大寺において、鑑真は、聖武天皇以下、約400名の僧侶達に受戒を授けました。


来日から約5年、こうして戒律師としての役割を終えた鑑真和上は、朝廷から寺領を賜わり、若い僧侶への教育の場として専修道場として唐招提寺を建立します。


唐招提寺創建から5年、鑑真は日本の地でこの世を去りました。




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