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日本歴史紀行

安倍晋三 寄稿 10  安倍晋三 元総理大臣 山口県民葬 安倍昭恵夫人 挨拶全文


在りし日の安倍晋三元総理大臣と昭恵夫人

安倍晋三元総理大臣
山口県民葬 昭恵夫人 挨拶全文





7月8日、参議院選挙の遊説先の奈良県奈良市、近鉄大和西大寺駅前で、身勝手極まりない凶行の銃弾に倒れた安倍晋三元総理大臣。
 

自民党党是でもある現行憲法の改正は、平和憲法を謳った日本国憲法の土台ともいえる戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を記した9条を何が何でも変えないという護憲派による自衛隊明記の反対運動もあって進展せず、安倍元総理大臣は国政選挙6連勝の強みを生かして前進しようとし、また、外交においては、地球を俯瞰(ふかん)する外交を掲げてリーダーシップを発揮して世界各国の要人の支持と信頼を獲てきました。

安倍晋三元総理大臣の政権運営等に対しては、今や国民の支持と不支持は両極端に分かれたことが、不支持の側の人々の国葬反対の大合唱に繋がったと思います。

さて、安倍晋三元総理大臣のお膝元である山口県民葬が今日、下関市の県総合センター〜海峡メッセ下関〜で行われ、遺族代表として参加した喪主の安倍晋三元総理大臣の妻、昭恵夫人が挨拶しました。

以下、昭恵夫人の挨拶全文です。





本日は主人の県民葬を立派に挙行していただき、村岡(嗣政)知事、柳居(俊学)県議会議長をはじめ県関係者の皆様には、あつく御礼を申し上げます。

また細田(博之)議長をはじめ、国会議員の先生方には大変お忙しい中わざわざこの下関まで足を運んでいただきましたこと、ありがとうございました。

地元の議員の皆様、市長、町長はじめ、主人がお世話になった多くの皆様方にご参列をいただき、また台湾からも遠くたくさんご参列をいただきました。

主人も喜んでいることと思います。本当にありがとうございます。


7月8日にあのような形で命を絶ちまして、今日でちょうど百カ日を迎えました。

信じられないような思いの中で日々過ぎていき、それでも四十九日を迎え、先日は武道館で立派な国葬儀を挙行していただき、だんだんと私も実感が湧いてきて、本当に亡くなってしまったんだなと寂しさが増してきているような日々でございます。

平成3年、1991年、主人の父、安倍晋太郎は、膵臓(すいぞう)がんのために志半ば、総理目前と言われながら亡くなりました。主人と同じ67歳でございました。

秘書をしていた主人がおそらく誰よりもその無念さを感じていたことと思います。


その後、父の遺志を継いで政治家になる決意をして、この下関に帰ってきて毎日毎日多くの方に自分の思いを伝え、お願いをして回っておりました。

1991年という年は湾岸戦争があり、ソ連崩壊という激動の年でもありました。

主人はそんな中で政治家になる決意をして、そして未来は不変のものではなく、我々の努力によって作り上げていくという信念のもと、世界平和のために新しい秩序をこの日本が中心になってつくっていかなければいけない、そんなことを語っておりました。

それは政治家になる前から、本当に最後まで一貫してたのではないかなというふうに思います。

主人を支えてくださったのは本当にこの地元にいる皆様方でした。

初めて選挙に出たときは、志は高かったと思いますけれども、父の秘書をしていたとはいえ政治家としては全くの未知数で、30代という人間としてもまだまだ未熟だったと思いますが、主人を信じてずっと支えてきてくださいました。

時に厳しいお言葉をかけていただくこともありましたけれども、おかげさまで主人を大きな政治家に育てていただけたんだろうなというふうに思っております。

ことあるごとに主人は自分が東京でこうして安心して仕事ができるのは、地元で支えてくださる皆様方がいらっしゃるからだと口にしておりました。

特に2007年、第一次政権を病気のために辞任することになったときは、突然総理を投げ出した無責任な男だと大変な非難を浴びることになり、私も本当に悔しい思いをしておりましたけれども、しばらくしてこの地元に帰ってくると、多くの方に温かく迎えていただき、晋三さんもう一回頑張りなさい、と励ましていただきました。

主人にとりましては本当に、どんなにか嬉しかったことだと思います。

そしてその後の2009年、自民党にとっては大変厳しい選挙でございましたけれども、今までにないような最高の得票率で主人は当選をさせていただきました。

そのとき主人は、再び地元の皆さんに政治家として命を吹き込んでいただいたんだというふうに言っておりました。

そして、もう一度政治家として頑張っていこうという決意を新たにしたのではないかなというふうに思っています。

その後2012年に、負けるかもしれないという総裁選挙に立候補したときも、本当に自民党が苦しいときに全力で応援してくださった皆様方への恩返しの気持ち、再び自民党に信頼を取り戻したい、そんな思いで、負けてもいい、何度でもチャレンジするといって総裁選挙に出馬をいたしました。


その後7年8カ月、総理大臣を務めることができたのは、本当にこの地元でお支えをいただいた皆様方のおかげと、主人に代わりましてあつくお礼を申し上げるところでございます。本当にありがとうございました。

主人は山口県が本当に大好きで、この下関、長門が大好きでした。

役職についてだんだん帰ることが少なくなりましたけれども、それでも毎年お盆に帰って、お祭りや花火大会で市民の方と触れ合うことをとても楽しみにしていました。

コロナでなかなか帰れないけれどもコロナが落ち着いたら、ゆっくり2人で帰って皆さんと語り合いたいねと、そんな話もしておりましたが、6月末、江島(潔)先生の選挙の応援で、帰ってきたのが最後となってしまいました。

今回、遺骨という形で帰ってきたのは本当に残念でなりませんけれども、国葬儀には各国から大勢の方たちにおこしをいただき、私に対しても本当に温かい弔意の言葉をいただきました。

一般献花においても長い長い列ができて、長時間、皆さん並んで献花をしてくださいました。きっと主人はそれを見て喜び、感謝をしていたのではないかなと思います。

増上寺でのごあいさつのときに吉田松陰先生の留魂録(りゅうこんろく)、主人が父の追悼文で書いたものを私は引用させていただきましたけれども、主人の67年、本当に素晴らしい方たちと多くの出会いがあり、多くの方に支えられて、そしてこの大好きな日本の国のために大きな仕事をさせていただいた、豊かな67年の人生であったと私は思っています。

主人が愛したこの山口県、私も本当に大好きで、これからも、先ほど映像にも出ていましたけど令和の地方のあり方、私もこの地域のためにこれから何かしら活動をしていきたいなというふうに思っていますので、皆様方には引き続きよろしくお願いを申し上げます。


母は94歳になりました。
家では弔問に来られる方の対応などをしておりますけれども、残念ながらこの県民葬に参列することができませんでした。

長年お世話になりました皆様方にくれぐれもよろしくお伝えしてほしいというふうに、母からも言われて参りました。

本当にこれが最後なのかなというふうに思って、私はこの県民葬が終わると気が抜けてしまうのではないかなと思いますけど、本当にこのように皆様方に立派にお見送りをしていただきましたこと、改めて主人に代わりまして、お礼させていただき、私の喪主のごあいさつとさせていただきます。

本当に本日はありがとうございました。





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