北条の里
源頼朝を支え、鎌倉時代を事実上支配した北条氏。
旧東海道の宿場町 三島の南に位置する
現在の伊豆の国市周辺を支配しました。
平治の乱で敗れた源頼朝が流人として約20年を過ごしました。
頼朝が流された蛭ヶ小島は伊豆半島の中央を流れる狩野川の中洲付近にあったとされます。
北条政子産湯井戸
北条氏菩提寺 願成就院
鎌倉幕府初代執権 北条時政の墓
弥勒堂
あやめ御前供養塔
この地から京の宮仕えとなった あやめ御前
平家政権の重鎮、従三位 源頼政に見初められ、妻となります。
頼政は源頼朝に先立って挙兵したものの宇治で敗れ、頼政の敗死の後、この地で草庵を結び頼政の菩提を弔いました。
西林寺
西林寺
鎌倉幕府の滅亡から150年
室町幕府政所の伊勢新九郎盛時は駿河、今川氏の家督争いをきっかけに成り上がり、韮山城を本拠地に、やがて伊豆の地に攻め入り、さらに相模地方〜小田原まで勢力を伸ばし戦国大名の先駆け〜北条早雲として知られます。
世界遺産 韮山反射炉
世界遺産 韮山反射炉
伊豆韮山代官 江川太郎左衛門英龍
江戸を守る品川台場を造営したのは、一介の地方代官、江川太郎左衛門英龍でした。
反射炉は耐火レンガに覆われた内部で発生させた燃焼ガスを放射、高熱化させて鉄や青銅の原材料を溶解させ、大砲を鋳造する炉で、野戦大砲等を生産しました