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日本歴史紀行

思い出フォト 121 2017年 5月 北条の里



北条の里
源頼朝を支え、鎌倉時代を事実上支配した北条氏。
旧東海道の宿場町 三島の南に位置する
現在の伊豆の国市周辺を支配しました。





平治の乱で敗れた源頼朝が流人として約20年を過ごしました。




頼朝が流された蛭ヶ小島は伊豆半島の中央を流れる狩野川の中洲付近にあったとされます。




北条政子産湯井戸





北条氏菩提寺 願成就院

鎌倉幕府初代執権 北条時政の墓



弥勒堂





あやめ御前供養塔
この地から京の宮仕えとなった あやめ御前
平家政権の重鎮、従三位 源頼政に見初められ、妻となります。
頼政は源頼朝に先立って挙兵したものの宇治で敗れ、頼政の敗死の後、この地で草庵を結び頼政の菩提を弔いました。



西林寺






鎌倉幕府の滅亡から150年
室町幕府政所の伊勢新九郎盛時は駿河、今川氏の家督争いをきっかけに成り上がり、韮山城を本拠地に、やがて伊豆の地に攻め入り、さらに相模地方〜小田原まで勢力を伸ばし戦国大名の先駆け〜北条早雲として知られます。















世界遺産 韮山反射炉







伊豆韮山代官 江川太郎左衛門英龍
江戸を守る品川台場を造営したのは、一介の地方代官、江川太郎左衛門英龍でした。



反射炉は耐火レンガに覆われた内部で発生させた燃焼ガスを放射、高熱化させて鉄や青銅の原材料を溶解させ、大砲を鋳造する炉で、野戦大砲等を生産しました




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コメント一覧

aoikitakaze4390031
@kikokikonoriko19888888 おはようございます。
人の性(さが)なのか、戦争は無くなりませんね。日本もほんの80年前にはしていましたからね。
ただ、あの300万以上の犠牲を経て、日本は戦争を放棄しました。この戦争放棄の心、世界中に知ってほしいと思います。
kikokikonoriko19888888
伊豆の国に住めたら 歴史の中にいるようでしょうね!
蛭ケ小島で、武家政治の始まりのころから、家康の時代の
武家政治の終わりまで、、瞑想にふけりながら、、
人の心の旅をするのも、いいですね、、、。
           欣求浄土、、、
行き着くところは「浄土」でしょうか。
なぜ?戦争するのでしょう、、、
aoikitakaze4390031
@kikokikonoriko19888888 こんにちは。
伊豆の国市は、年に何回も訪れる街です 
頼朝、政子夫婦の像のある蛭ヶ小島公園に軽食のとれるお店がオープンしました。休憩を兼ねてよく蕎麦を食べに寄っています。
kikokikonoriko19888888
平成13年でした、伊豆長岡の駅の左の路地で
自転車を借りて、、このサイトのお写真のところを
一人で、回ってみました。「蛭ケ小島」が、、、、、 
意外なほど、、こじんまりとした公園になっていて、、
天下を動かした頼朝のゆかりのところとして、、
しばし、、、ぼーっと、、座ったまま、、でしたね。
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