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日本歴史紀行

歴史めぐり 街物語 1 ‐ 4 静岡市葵区 4




静岡浅間神社


今から5年以上前に浅間神社に併設されている資料館で山岡鉄舟の資料展示会が開催されました。

山岡鉄舟

山岡鉄舟は江戸で生まれましたが、明治維新後は静岡と強く縁ができました。

山岡は、父が飛騨高山の郡代となり、少年時代を飛騨高山で過ごし、父の死後に江戸に戻り、千葉周作に剣術を学び、山岡静山に槍術を学びました。
槍の師だった山岡静山の死後、静山の弟の高橋泥舟に極貧ながら清廉剛毅を見込まれ、山岡家の婿養子になりました。



西郷 山岡 会見の地碑
静岡市葵区御幸町

鳥羽伏見の戦いで幕府を破った新政府軍が江戸へ東征軍を向かわせると、東征軍参謀の西郷隆盛を駿府城下に訪ねたのが山岡鉄舟でした。

西郷は初対面ながら山岡の主君のために単身乗り込んで来た剛毅さと、彼の中に人としての誠を感じ入り、大総督から提示されていた将軍家の備前藩お預けの一文を取り下げました。

後に勝海舟と西郷は江戸、薩摩藩邸で江戸無血開城について取り決めますが、その露払いは静岡の地で、山岡と西郷の間で行われていました。

山岡は維新の後、静岡藩の重責を担う

西郷は後に明治天皇の侍従を山岡に託します。
〜金も地位も名誉もいらぬ、そんな人にしか天下の偉業は任せられぬ〜と言わしめました。





浮月楼
静岡市葵区紺屋町
最後の将軍 徳川慶喜は水戸謹慎の後、徳川家の縁のある静岡市の宝台院でも謹慎生活を送り、謹慎を許された後は代官屋敷に入り、明治政府を憚り、趣味に没頭して見せて政治とは一切無縁の生活をこの地で送りました。

現在は料亭として営業しています。






東海道 府中宿碑
京からは名古屋以東、江戸からは名古屋までの最も栄えた宿場町で、初代将軍 徳川家康が晩年に過ごした地が駿府〜駿河府中、現在の静岡市でした。


 



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