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日本歴史紀行

歴史めぐり 街物語 2 ‐ 3 静岡市駿河区 3

静岡市駿河区




静岡駅にて、JR東海 からの新年の挨拶(令和三年)


八幡神社
静岡市駿河区八幡


八幡山の麓にある八幡神社
室町時代後期に守護大名の討死から御家騒動が勃発した今川家。


八幡山城
静岡駅からも近い八幡山城は、初期の江戸城を築いた太田道灌。戦国時代の先駆けとなった北条早雲こと、伊勢新九郎盛時。
それに武田信玄に徳川家康と、戦国時代に名を轟かせた兵(つわもの)たちの足跡が残ります。



1476年 文明8年
駿河守護 今川義忠の凱旋途中の討死により沸き起こった家督争いは、嫡子 龍王丸を擁した母、北川殿派と、亡き義忠の従弟の小鹿範満との勢力で駿河の内乱に発展する可能性を見せ始めました。

小鹿範満は母が伊豆、堀越公方の重臣の娘との縁から、範満を支援するべく扇谷上杉氏の太田道灌が兵を率いて出兵し、八幡山城に布陣しました。







八幡山城 本丸付近

八幡山城は、駿河 今川氏4代 範政が築いた山城で、駿河 今川館の南東の位置を守ります。


道灌の軍勢が八幡山で睨みを効かせる中、嫡子 龍王丸の母、北川殿は、弟の伊勢新九郎盛時に救援を要請し、京より下向して小鹿範満と会談を持ち、龍王丸が元服するまで小川城で過ごし、小鹿範満は今川館で政務を代行するという形で決着し、道灌は関東へ戻りました。


1479年 文明11年、前将軍 足利義政は駿河守護 今川家の家督を龍王丸と認める文書を発給したことで伊勢新九郎も京へ戻り、幕府の奉公衆の職に就きます。


ところが、龍王丸が15歳の元服を迎えようとするに至っても、小鹿範満は今川館を出る素振りも見せず居座ったまま、しかも身の危険を察知した北川殿は龍王丸を連れて丸子城に入り籠城します。




八幡山城遠景







八幡山城跡 碑

北川殿と龍王丸の窮状を知った伊勢新九郎盛時は、再び駿河へ下向し、かつて太田道灌が布陣した八幡山城に入ります。


小鹿範満の後ろ楯だった太田道灌は、前年に主君の上杉定正に暗殺され、関東からの援軍は来ないと踏んだ伊勢新九郎盛時は、北川殿と龍王丸に従う今川家臣らの軍勢を秘かに束ね、今川館を急襲。


小鹿範満は弟の範慶とともに自害、10年に及ぶ今川家の家督不在は嫡子の系譜が再び継ぐことで落ち着きました。


八幡山城は、1568年 永禄11年に武田信玄が駿河侵攻した際に武田氏の手に落ち、やがて武田滅亡後に徳川家康が駿河を領有すると役割を終え廃城となりました。
























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