興福寺
興福寺 東金堂
奈良県奈良市登大路町
興福寺は、中臣(藤原)鎌足の夫人 鏡女王が病に臥した夫、鎌足の回復を願って山城国(現在の京都)に657年 斎明天皇8年に造営させた山階寺が始まりです。
鎌足の死後、飛鳥に厩坂寺として移転、さらに都が平城京に遷都されると鎌足の子、不比等により現在の奈良市 奈良公園の地へと移り、名も興福寺と改められました。
東金堂は五重塔とともに興福寺のシンボルの伽藍で、726年 神亀3年に聖武天皇が創建し、堂内には本尊の薬師如来坐像が保管されています。
興福寺 五重塔
奈良県奈良市登大路町
興福寺 五重塔は、奈良時代前期の730年 天平2年に建立されましたが火災により焼失し、その後も火災、戦災に見舞われて計五度の焼失を経て現在の五重塔は六代目で、1426年 応永33年の室町時代に再建されたもので、高さ50メートルの堂々とした威風を誇ります。
藤原氏の氏寺として大和国を牛耳る勢力を誇りましたが、平安時代末期からの武士の台頭によりその地位は脅かされ続け、明治維新後には廃仏棄釈により古来からの仏閣は完全に否定されることとなり、境内の堂宇を含めた土地は没収され、塔も売りに出される等、興福寺は廃寺の危機を迎えましたが、買い手による買い取りが結果的に廃寺の危機を先延ばし、その間に寺領は奈良公園として活用、寺院の数々は官庁施設に利用されることで生き延びることとなり、やがて興福寺の再興が許可されました。
1998年、世界遺産に登録されました。