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六本骨扇
今村は比較的、平穏だといえた。
三河のこの辺りは、寺社勢力の権限が強く、事実上の今川義元の支配下にある三河においても、元康君の祖父にあたる清康殿の代に不輸不入の権(田園の租税を課されない権利)を勝ち取って以来、ずっとその続いてきていた。
それでも今川方を追って上田近正なる集団が行く手を遮るも、水野家の家紋を示した浅井道忠が、元康君を織田家の方々だと偽り、今川の残党を追うのだと言い張るので、ここでも大いに助けられた。
この地で細々と勢力を維持している今村勝長は、元康君が尾張進出へ出向いた今回は、先導的な役割りもあって三河衆の馬廻りを務めた。
その今村勝長の地盤に戻り、元康君一行を一晩泊めることになり、案内役を果たしてきた浅井道忠はここで大高城へ戻り、留守居の本多光忠を脱出させることとなった。
〜その方には、随分助けられた。今はこの様な物しか託せないが。〜
と、元康君は懐にあった六本骨の扇を下賜された。
〜岡崎へ帰参が叶えば、その扇を飾せば、わしへの目通りはいつでも応じようぞ。〜
〜有り難き幸せ、これは我が家宝に致します〜
扇を下賜された道忠は深々と答礼し、今村を去った。
尾張国境から続いてきた難儀な未明からの逃避行もすでに限界にあったので、元康君は周囲の見張りに守られ、翌朝まで眠ることが出来た。
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今村の屋敷を出ると、先発した平八郎、与七郎らと合流し、鹿が渡りきった場所から矢作川を越えた。
与七郎が自らの手柄の様に川を越えた鹿の説明をしていたが、平八郎は気にする素振りもなく周囲の警戒に務めた。
続く
六本骨扇〜
元康君が浅井道忠に下賜した扇。
浅井はこの後、徳川家臣となり、下賜された六本骨扇を家紋とした。
その後、奉行衆に加えられ、武田討伐後の信長凱旋の帰路で増水した大井川への川越えを無事終えた際、信長に称された。