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〜信長には隠しておけ。
三河物語
天正十年三月、年明けから甲斐の武田氏親族衆に連なる木曽義昌が織田信長に降ると、武田討伐に本腰を入れる織田信長は、家康に駿河から攻め入る様に命を下します。
家康は駿河江尻城に籠城していた武田親族衆の穴山信君(梅雪)に、後の身の安全と駿河領の支配を保証して甲府への道案内まで確約させ、穴山は家康に降り、武田氏に繋がる血筋を守ります。
家康は頑強に籠城中の駿河田中城の依田信蕃に同じく降る様に説得するも、その説得にほ応じずにいたものの、武田勝頼が甲斐天目山で自刃して甲斐武田氏が滅亡した知らせを聞き、ついに明け渡し、家康は自分に仕える様に諭すも聞き入れず、自領の信濃へ戻っていきました。
やがて甲斐に留まらず、信濃まで武田の残党の掃討を始めた信長から逃れた依田は、徳川の北遠州の要衝、二俣城に大久保忠世を訪ねて命乞いをしました。
信長の武田残党の掃討の命を家康こら聞いていた大久保忠世は、家康に相談。
〜信長には隠しておけ〜
と家康は大久保忠世に依田と家臣らの保護を命じます。
本能寺の変、伊賀越えを経て、家康が信濃へ進出すると、依田は味方の旧武田遺臣の多くを家康に仕える工作に協力し、家康は武田遺臣を大量に召し抱え、勢力を拡大させました。