
上野英三郎博士とハチ公 像
東京都文京区弥生 東大弥生キャンパス正門
本日、3月8日は忠犬ハチ公の命日です。
犬の像としては、おそらく日本一知られている渋谷駅前の忠犬ハチ公の像ですが、ぼくのイチオシは東大弥生キャンパスの上野英三郎博士とハチ公の像です。

この東大弥生キャンパスのハチ公像は、2015年にハチ公没後、ハチ十年を記念して、新たにハチ公像が作られるということになり、2015年3月8日に除幕式が行われました。


ハチ公は、現在の秋田県大館市で生後間もなく、東京帝国大学(現在の東京大学)農学部の優秀な教授であった上野英三郎博士に売られ、東京帝大農学部(当時は駒場ににあった農学部)への通勤や渋谷駅からの出張に送り迎えをしていたことは、よく知られています。
ハチの飼い主 上野英三郎博士
上野英三郎博士は、三重県出身で、明治28年に東京農科大学農学科を卒業し、大学院を経て東京帝国大学に勤めながら、農商務省、内務省といった役人としての業務を兼任し、耕地開拓、土地改良事業の計画に加わり、大学では農業工学講座を担当しました。
この当時、農業土木学の専門技術者は国内に皆無で、上野博士は農業土木を研究していた唯一の学者として重宝され、研究と共に3000人を超える技術者を育てました。
やがて上野博士に教えられて育った技術者たちが、関東大震災後の帝都復興に重要な役割りを果たすことになります。
ハチ公という名前は、学生に大変尊敬されていた上野博士の愛犬をハチと呼び捨ての様に呼ぶことも憚れるということから、ハチ公と呼ぶ様になったとも伝わります。
博士は大変な愛犬家で、幼かったハチが体調を崩した時は、ハチの寝床の隣に布団を敷いて看病もしました。
ハチの他に2頭の先住犬も居ましたが、ハチは先住犬にも可愛がられました。
しかし、ハチが上野家で飼われ始めてから1年半ほどの1925年 大正14年 5月21日、上野博士は大学構内で講義中に突然倒れ、急死しました。
脳溢血でした。
それからハチは、飼い主が度々変わる境遇の中にあっても、死ぬまでのほぼ10年間の毎日、渋谷駅に通い、博士の帰るのを待ち続けました。
渋谷駅前のハチ公像は、老犬となったハチ公が、野犬に咬まれ、左耳が垂れた状態の像ですが、弥生キャンパスに建立された像は、帰りを待っていたハチと、帰って来た上野博士が互いに喜んでいる様子を表現したものであり、人と動物の愛情あふれる姿を表した感動的な場面を想像させてくれます。

