富士山 ~日本平山頂から~
1945年 昭和20年6月19日
静岡大空襲
太平洋戦争終末期に甚大な被害を出した静岡大空襲は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)6月19日深夜から20日未明にかけて、アメリカ軍のB-29大型爆撃機、137機の編隊により静岡市一帯が無差別爆撃され、静岡市街地は一晩で姿を一変させました。
太平洋マリアナ諸島から飛び発ったアメリカ軍第314航空団のB-29大型戦略爆撃機137機の編隊は伊豆半島波勝崎付近から富士山を目印に本土上空に侵入し、さらに伊豆半島上空を北上、この時点で日本の防空反撃能力の無さを認識した大編隊は、富士山手前上空で旋回して静岡市上空に向かうも、一旦静岡市街上空を通過し、御前崎上空から再び静岡市街上空へと向かいました。
わずか3時間余りの爆撃で投下された焼夷弾は13,211発。
被害者は死者1,952名、負傷者5,000名余、焼失戸数26,891戸に上りました。
開戦から3年、ミッドウェー海戦で敗れ、太平洋の制海権を奪われ、反撃する航空戦力も弱体化させていた日本軍はB29を主力としたアメリカ軍の大型爆撃機の侵入を防げず、静岡大空襲の3ヶ月前にも、首都 東京が犠牲者11万人を出す大空襲を受けました。
日本は無条件降伏を受け入れる8月15日まで、アメリカ軍の空襲を地方、大都市を問わず受けました。