静岡県中部を流れる大河、大井川
戦国時代末には今川氏領だったこの地を甲斐の武田信玄と徳川家康が大井川を境に切り取りの約定を結び、領有しました。
江戸時代には東海道の島田宿と金谷宿とで結ばれていました。
明治維新後、将軍、徳川慶喜の後に徳川宗家を継いだ家達(いえさと)が駿河60万石移封に伴い江戸から多くの旧徳川幕臣とその家族が駿府(駿河府中)現在の静岡市に移住、さらに生活の糧を求め、西の島田宿の先にある不毛の台地〜牧之原台地へとやって来ました。
江戸無血開城を成した勝海舟は、幕臣らの
失業対策として不毛の地とされて放置状態にあった牧之原台地に入植を勧める方針をたてます。
橋を渡り切る先に見える丘が牧之原台地です。
苦心の入植、開拓から10年あまり、少しずつ生活の見通しがたった牧之原の住民らは大井川に橋を掛けました。
やがて視察に来た徳川家達により、向こうの台地は宝の山として激励され、住民らにより蓬莱橋と命名されました。